「いい人」たちは周囲から期待される事によって、自分の存在の意味を見出しています。
自分が期待されなくなれば、自分の存在の意味を見失う事になります。
けれども、期待に応える事ばかりを意識して、自分を見失ってしまっては元も子もありません。
この「期待に応えたい」という気持ちは、周囲に自分のプラスの印象を植え付ける事で身の安全を確保したいという人間の本能と言い換える事もできます。
ですが、「頼りにされていたのに、結果を出せなかった自分が情けない」「頼まれた事は何としてもやり抜かないといけない」等、他人の期待に応えられない自分を責めたり、プレッシャーを感じたりする事は、とても苦しく残念な事だと思います。
こうして期待に振り回されるという事は、自分の人生を他人に振り回されているという事と同じです。
その発想を続けていては、「いい人」をやめる事はできません。
第一線で活躍するアスリートやクリエイターの方は、周囲から常に大きな結果を期待されている方ばかりなので、相当なプレッシャーを感じていると思いがちです。
ですが、そうした期待に応えようと苦しんでいる方はほとんどいません。
なぜ、他人の期待に苦しまないのでしょうか?
それは、期待とは「応えるもの」ではなく「超えるもの」だと考えているからです。
期待に「応える」という「相手本意」の発想ではなく、期待を「超える」という「自分本位」の発想にシフトチェンジするのです。
そう考えると、目の前のプレッシャーが一瞬で、ネガティブからポジティブなものに変わります。
これはアスリートやクリエイターの方ばかりではなく、社会一般のビジネスパーソンでも同じ事が言えます。
たとえそれが面倒な仕事であっても「期待を超える」と決意した途端、嫌々やっていた仕事が、チャレンジすべき仕事へと変化するのです。
もしも自分が相手に期待される事でプレッシャーを感じるようであれば、相手の期待の水準を超えるくらいの心意気で、何事にも取り組んでみて下さい。
相手の期待に応えれば、感謝はされてもそれきり何も生みません。
相手の期待を超えれば、感動が生まれます。
大なり小なり何かしらの期待を寄せる人は、「いい人」だからと何でも押し付けてきます。
その期待に応えれば形式上の感謝はされますが、それが相手にとってそれほど嬉しい事とは限りません。
もしかすると、相手は「これくらいやって当たり前」とさえ思っているかもしれません。
ですが、相手の期待を超えてみせると、相手には驚きと共に感動が生まれます。
そうして初めて、自分の行為が相手の心に響くのです。
なので、どうせ取り組むのなら、その期待を上回る事を考えてみて下さい。
きっと相手は態度を変えて、「もうこの人に、何でも軽々しく頼むのは悪いな」と尊重し始めます。
そして、もう少し条件の良い仕事が回って来るようになります。
こんな風に、相手に求められた範囲に自分なりの工夫とこだわりを加えつつ全力を尽くすことが「期待を上回る仕事」をするという事なのです。