「才能がある人」の共通点

 

「才能」とは、何だと思いますか?

 

才能という言葉は、わりと使いやすい言葉です。

 

「才能があれば良かった」「もともと才能に恵まれている」「才能を伸ばしたい」「やっぱり才能がない」・・・。

 

上手くいった時、上手くいかない時、急に成績が伸びた時、赤点を取った時、自分の子供に期待をかける時、人が成功して羨ましい時、失敗を悔やむ時、思い返してみると、なかなか使う頻度の高い言葉ではないでしょうか。

 

才能という言葉について説明してください。

 

と言われたら、「持って生まれた、優れた能力」といったニュアンスになる人が多いと思います。

 

実際に『日本国語大辞典』で引いてみると「生まれつきの能力。また、その働きの優れていること。才幹。」と書いてあります。

 

一方、『大辞林』で引くと「物事をうまく成し遂げる優れた能力。技術・学問・芸能などについての素質や能力。」とあります。

 

「素質」というのは生まれつき備わっている性質のことなので、やはり「才能」は生まれつきのものなのか、と思うでしょうか。

 

多くの人は「やっぱり才能って、生まれた時に決まっているんじゃないか」「結局、最初から才能を持っていなければ無理じゃないか」と言いたくなると思います。

 

しかし、その考え方は半分正しく、半分間違っています。

 

今すぐその考えを無くしたほうが、人生はとても楽しく、明るくなります。

 

才能とは、生まれつきの能力だ。

 

この一文に違和感を覚える人はいないと思います。

 

しかし正確に言うと「才能=能力」ではありません。

 

「能力」というのは、コツコツと努力を続けられれば、誰にでも身に付けることができます。

 

この「能力」が高まっていくと、人よりも飛び出たり、尖ったりする部分が出てきてやがてそこが「才能」として認められるようになるのです。

 

「才」という字は、「飛び出てきた、尖った」という意味合いを持つ文字です。

 

ということは、能力の飛び出た部分が「才能」であり、天が与えた、飛び出た部分がある人が「天才」ということになります。

 

いわゆる「才能がある」と言われている人達がいます。

 

彼ら、彼女らには共通点があります。

 

それは、みんな努力をしているということです。

 

多くの人は、”あまり努力をしなくてもできてしまう人”のことを「才能がある」と言いがちです。

 

人間というのは他の動物に比べて本質的にもともと頭が良く、脳の構造から見てもとても優秀です。

 

つまり全ての人が、優秀と言われる可能性をもともと持っています。

 

だとしたら、一体どこで差がつくのでしょうか。

 

自分に合ってない、ふさわしくない場所でいくら頑張っても、物事は身に付きません。

 

「才能がある」と言われている人達は、”その人に合った”動機付けがまずあって、そこから”正しいやり方”を選んで、”コツコツと努力”を積み重ねています。

 

そしてきっちりと結果を出して、その時に初めて「才能がある」という状態になります。

 

正確に言えば、「才能がある」と”言われる”ようになります。

 

周りの人達は、その人が”努力してきた部分”をすっ飛ばし、目に見えている結果だけを見て「才能は生まれつきだから」と頭ごなしに決めつけてしまいます。

 

しかし、それは間違いです。

 

「氷山の一角」という言葉がありますが、水面よりも上に出ている部分は、全体の1割だと言われています。

 

その下の9割に、血の滲むような努力があってこそ、氷は浮いていられるのです。

 

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