動機付けは、「認知」「情動」「欲求」の3つの行動から成り立ちます。
まずは「認知」から説明していきます。
例えば、読書経験が浅い人が、分厚い本を目の前にしたら、「こんな分厚い本、無理!絶対に読み切れない」と読む前から諦めてしまうと思います。
しかし、一見すると、”高すぎるハードル”も「認知」次第で、越えることができます。
目の前の500ページの本を、20日間で読み終えたい時、どうしたら良いでしょうか。
答えはとてもシンプルで、1日25ページずつ読めば20日間で読み終えることができます。
25ページなら、読めそうな気がしませんか?
さっそく今日から、25ページ読んでみようと思うはずです。
人間というのは「これなら自分にできそう」で、しかも「これはきっと人生の役に立つに違いない」と思えたら、行動に移すものなのです。
これが「認知」です。
このように、認知次第で今の前に広がっている世界の見え方も、価値観も、がらりと変わります。
それによって、その先の歩き方や組み立て方が変わってくるのです。
スタート地点で「自分が(子どもが・部下が)、何をどう認知しているか」を冷静に正確に観察することが大切なのです。
そして、「(子どもや部下が)面白いと思える視座」を与える事ができれば、動機付けなんていくらでもコントロール可能なのです。
動機付けに必要なこととして、まずは、対象を正確に「認知」する。
そして、自分にそれができるのか、それともできないのか、を判断します。
動機付けの理論として、「情動」や「欲求」という観点についても説明します。
「情動」というのは、バーンと感情が燃え上がってテンションが上がる状態です。
テンションが上がらないと、何事も続かないものです。
イヤイヤ続けているようなものが長く続いた試しはないと思います。
結局やめてしまうと思います。
親に無理矢理やらされる勉強や、行きたくないと思いながら通っている習い事などが長続きしないのは、このせいです。
この「テンションが上がる状態」=「情動」というのは、別の言葉で言いかえると「感情」です。
過去の経験の積み重ねで生まれる「感情」であったり、現在進行形のものに対する「感情」です。
そして、もう1つの動機付けの理論が「欲求」です。
「欲求」は、「本当に自分がそれをやりたいと思うかどうか」です。
例えば、新しいことはテンションが上がりやすいものです。
それが楽しければ、ますますテンションは上がると思います。
しかし、一時的にテンションが上がってやったことが、後になって「なんでこんなことしたんだろう?」となる経験、皆さんもありませんか?
「計画していなかったのにやってしまった」というのがそれです。
「衝動買い」などが例に挙げられます。
そういう要素で起こってしまう犯罪もよくあると思います。
こういう一時的なものは、動機付けにはなりません。
自分がそれを本当に続けたいという気持ちがあるのかどうか、すなわち、ある程度安定した心理的エネルギーとしての「欲求」があってはじめて「動機付け」になります。
自分は何ができて、何ができないのかの「認知」をすること。
自分ができるようになっていくことで、どんどん面白くなっていき「情動」が刺激される。
そしてそれをしたい、続けたいという「欲求」があって、動機付けは持続します。
するとそこから”尖り”となって、やがて「才能」と呼ばれるものになっていきます。