「やればできる」は嘘

 

「やればできる」は、まやかしの言葉です。

 

才能というのは誰にでもあって、それは”正しい努力”次第で手に入るものです。

 

「自分はやればできる」「今は本気を出していないだけ」と言う人がいますが、これはとんでもない「まやかしの言葉」です。

 

例えば、自分が「何の競技でもいいから、今からオリンピックに出よう。やればできるはずだ」と思ったとします。

 

この場合は、まず「情動」が動かされたことから始まっています。

 

まず、どの競技ならできそうか、色々と競技を見ます。

 

ストーンを滑らせてその前をホウキのようなもので擦るだけのカーリングだったらできるかもしれない、そう思ったとします。

 

これが「認知」です。

 

そして練習を始めますが、カーリングがとても難しい競技であることに気付きます。

 

すると「相当練習をしないと、いや練習をしても、そうそうオリンピック出場なんて無理だろう」と思います。

 

結果、オリンピック出場を諦めて、カーリングの練習をしなくなります。

 

「欲求」が続かないという状態です。

 

「やればできる」と思っている人は、オリンピック出場という「結果」に焦点を当てているため、それが望めないとわかった瞬間に「動機」が無くなり、練習をしなくなります。

 

東大に行きたいと思って過去問題集をやってみたら「なんだこれ、全然分からない」とお手上げ状態になり、「東大を目指すのはやめた」そして「努力するのもやめた」となってしまうのと同じです。

 

これらの内容から分かるように、「やればできる」という思考は「結果至上主義」です。

 

その結果が手に入らないと分かった瞬間に、やることそのものをやめてしまうのです。

 

これは、「できそうにないなら、やらない」と言っていることと表裏一体です。

 

世の中には「できないこと」が沢山ある以上、大人が子供に、または目上の人が部下に言いがちな「やればできる」という言葉は嘘になるのです。

 

このように言ってしまうと、気持ちを削がれてしまうと思います。

 

しかし、使う言葉を変えていけば良いだけなのです。

 

こういう時に使うべき正しい言葉は「やれば伸びる」です。

 

何事も、やらないよりもやった方が絶対にいいのは間違いありません。

 

誰でも、何かを始めてそれを継続していくことができれば、やった分だけ成長して、経験した分だけ経験値は増えて、必ず伸びていきます。

 

能力が伸びれば、その「部分」が際立ってきて、「才能」になる可能性があります。

 

使い古された言葉ですが、「継続は力なり」というのは本質的に真実なのです。

 

問題は、「自分にはできないと認知した段階」で丸ごと諦めてしまうことです。

 

赤ちゃんは生まれてきてすぐには歩けません。

 

喋れません。

 

でも、大人のように歩こうとしますし、喋ろうともします。

 

赤ちゃんは決して諦めません。

 

その結果、今みなさんは歩けて、喋れていると思います。

 

つまり、昔はみなさんもそれができていたのです。

 

でも、大人になるにつれてそれができなくなっているだけなのです。

 

なので、赤ちゃんのように、失敗しても何度も挑戦し続けてください。

 

必ず能力は伸び、できないことができるようになります。

 

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