言語学には「シニフィアン」(意味しているもの、表しているもの)と、「シニフィエ」(意味されているもの、表されているもの)という言葉があります。
例えば、「海(うみ)」という「言葉・文字・音」が「シニフィアン」で、そこからイメージした、魚がいる、青い、広いといった「海の概念」が「シニフィエ」です。
先日、言葉で教わるより行動を真似をして下さいと説明しましたが、”言葉だけ”で何かを伝えようとすると、それを受け取る人は各々で認知が違うため、「シニフィアン」と「シニフィエ」にズレが生じてしまうのです。
学校の書き取りの授業で、先生から「気合いを入れて、10回書きなさい」と言われたとします。
気合いを入れて10回書くといっても、それはどう書くのか?
何に書くのか?
そもそも気合いを入れるとはどんな具合か?
聞いた人がどう感じるかは、それぞれ違うものです。
これは「シニフィエ」が異なっているからです。
1つの言葉から連想する概念や映像は、個々人で違って当然です。
しかし「気合いを入れて10回書け」と言った先生が、コピー用紙にシャープペンシルで10回、筆圧高めで濃く書く、という行動をやって見せたら、言葉から連想する概念や映像は統一されます。
このように、何をどうするのかを見せることができれば、シニフィエが統一されます。
見た人達は、それを完璧に再現することができます。
上司が部下に「コピー取ってきて」とお願いすることがよくあります。
コピーして上司に渡すと、上司があれこれ文句を言います。
カラーかモノクロかについて、コピーした部数について、ホチキスを留める位置について。
これは、細かく言えば「コーヒー買ってきて→ミルクと砂糖入りはNG」や「お弁当買ってきて→飲み物も一緒に買ってくるのが普通」など、様々なものがあります。
「コピー取ってきて」という短い言葉に、どれだけの意味が内包されているのでしょうか。
シンプルな指示のようで、実はとても無茶な指示なのです。
しかもひどいことに、シニフィエがズレてしまったことを自分のせいではなく、部下のせいにします。
本当はこの時、「コピーというのはこう取るものなんだよ」と上司が一通りやって見せたら、シニフィエが明確になるので伝わります。
このような理由から、現代においては「動画を撮っておく」のが絶対に良いです。
手書きのメモではなく、録画して、その動画の通りにやればいいのです。
今はスマホで簡単に撮影ができるので、どんどんやるべきです。
それに、動画を「撮影する」行為を実際に行うと、かなり行動に意識を向けるので、その人の行動の特異なポイントに目が行やすくなります。
勉強も同じです。
自分の学校で一番成績の良い人が勉強しているところを、動画で撮らせてもらって完コピします。
頑張って入った中学校で、高校で、大学で、そこでまた”ベストな人”を完コピします。
これを繰り返していけば、確実にステージアップすることができます。
能力を劇的に、確実に上げたいなら、できる人の「言葉」を聞くのではなく、「行動」を完コピして下さい。