人は「ビジョン」を与えると、そこに向かって前に進む道を見つけ出す性質があります。
その人が持っている能力をいかにして見つけ、どうやってその才能を伸ばしていけば良いのか。
これは大きな命題であり、これには色々な段階があります。
そこで、まず最初に「人間は大義で動く」ということです。
いきなり「大義」といっても、わかりづらいと思います。
大義というのは「人が歩むべき、重大で正しい道」のことです。
例えば、仲間のうちの1人が、「飲食店を一緒にしよう」という言葉でみんなに声をかけたとします。
すると、それを聞いた各々が、自分の中にある飲食店についてのイメージや知識を動員し、「ライバルが多い」「そういうことに、あまり興味がない」「飲食店は儲からないらしい」「シフトがきつい」などと、できない理由を探し始めると思います。
これは、具体的にやりたい飲食店のイメージが不在のまま、「飲食店という概念」を元に実体のない議論が始まってしまっているためです。
人は、議論の対象に具体性が無い時ほど、批判的な意見を言いがちです。
一方で、具体的なイメージを最初に提示すると、そこをゴールとして、そこまでの道筋を見つけ出そうと考え始めます。
そこでまずは、目に浮かぶ具体的なビジョンを提示することです。
当然ながら、ネガティブなビジョンはNGで、前向きなものに限ります。
ビジョンは、英語で「VISION=視覚」。
人に与えるビジョンとしては、その意味の通り「目に見えている」ということが重要です。
例えば「21世紀を代表する」や「世界へ羽ばたく」といったものは、前向きかもしれませんが、ビジョンとは呼べません。
この言葉だけでは、映像として、その輪郭が明確に見えないからです。
21世紀はまだ先で、これからどうなるか全く分かりません。
また、世界へ羽ばたくといっても、それが具体的に何を言い表しているのかも分かりづらいです。
具体的なシーンを言葉で描写してあげると、それを聞いた人は、頭の中でそれを想像してビジョン化します。
こうしてその人の頭に”映像がくっきり浮かんだ”であろう時に、「それって面白いよね」「それが現実になっていてほしいよね」と声をかけます。
この時、頭の中では、自分の言葉通りに情報が映像化された状態です。
その後に大事なのは、それをアウトプットさせることです。
その人が「これが現実になっていたらいいなぁと思う」と言葉にして発することが大事なのです。
なぜなら、人は言葉を発したとき、その言葉とともに感情が動き、それによって「大義=歩むべき大切で正しい道」となって心に残ることになるからです。
単なる「目的」を超えた「大義」を持つことで、人は動き方が変わります。
その「大義」をその人の中に植え付けるためには、この「感情の幅」「感情が動くこと」がすごく重要なのです。
人を動かすものは、「ビジョン」と「大義」です。