才能は努力によって生まれると説明してきましたが、正直なことを言うと、スポーツや音楽は、やはり生まれ持ったものに左右されてしまうことがあると思います。
身長や体型、骨格、手足の長さや筋肉のつき方によって、どうしても向き不向きはあります。
人類の万人が対等と言えるかというと、そうではないと誰もが言うと思います。
身長が185センチの人と155センチの人でバスケットボールをやったら、圧倒的に背が高い方が有利だというのは、分かると思います。
ピアニストなら、手の大きい方が、多くの曲を弾きやすいでしょうし、陸上競技の高跳びであれば、背が高くてしなやかな体でないと高記録は難しいと思います。
そこには「有利の土台」というものが当然あります。
こうした天賦の才を「才能」と言ってしまうのは違うのではないか、と思います。
スポーツや音楽などには明確なルールがあって、そこにはどうしたって有利、不利が出てくるものです。
その条件に当てはまっているかどうかで、パフォーマンスに影響します。
言語にも、ルール、法則があります。
日本語では達者にプレゼントができるけれど、英語では全然駄目というのも、結局ルールの違いです。
ルールが明確にあるものは、それに即していないと、成功するのが難しいです。
しかし、ビジネスや学問には、基本的にルールはありません。
何をどうしてもいいのです。
「自分が一番能力を発揮できるもの」を探すことは、当たり前ですが、他の人にはできません。
これには没頭できる、これなら絶対に他人に負けない、というものを大事にして下さい。
そういうことに取り組み能力を磨いて磨いて磨き抜いて、才能として発揮させて下さい。
ただ、「人間に不可能はない」という言葉がありますが、残念ながらこれはその通りだとは言えません。
しかしたいていの不可能というのは、「私にはできない」「僕には無理だ」という思い込みであることは間違いありません。
人間というのは、過去からの文脈に大きく依存しているものです。
「過去にできなかったから」「誰かに否定されたから」と言って、諦めてしまっていることはありませんか?
私たちが生きる世界は、「過去」にはありません。
「未来」にあります。
なので、まだ見えていない未来を勝手に決めつけて、可能性を潰すようなことは絶対にしないで下さい。
才能は、必ず自分の中にあります。