社会に出ると、すぐに分かることがあります。
それは、本当に凄い人というのは、ややボーッとしたように見えるということです。
この場合、”やや”の具合が大切になってくるのですが、きちっとし過ぎていない、という表現が一番しっくりくるかもしれません。
決して不潔な身なりではないものの、服装や体裁を整えることに使うエネルギーよりも、授かった才能を発揮するために使うエネルギーが、遥かに上回っているからです。
これは、社内外のビジネスパーソンにも一致します。
必要を超えてきちっとしている人はせいぜい二流、多くの場合は三流です。
きちっとした部分を評価してもらえないと拗ねてしまう一方、肝心な実力はおろそかです。
実力がないのに見た目で評価してもらおうというのは、あまりにも自分勝手です。
その自分勝手さが、才能を発揮して一流になれない原因の1つです。
例えば、ネクタイを首元まできちっと締めている人は、大体、その組織で一番仕事ができる人ではありません。
「一番仕事ができる人」に憧れている、仕事のできない人が多いのです。
これは、決してネクタイを首元まできちっと締めてはいけないという意味ではありません。
ネクタイを首元まできちっと締めて、「私は偉い」という暑苦しい雰囲気を漂わせると、相手から見限られてしまうという話です。
このような暑苦しい人は、自分同様に首元までネクタイを締めていない人を見ると、「あいつはダメだ!」と気分を害してしまうことが多いです。
場合によっては取引先であろうと、目上の相手であろうと説教をしてしまいます。
結果を出している人に、自分流を押し付けようとするのです。
テストに書かれた字は丁寧で上手ですが、肝心な点数がイマイチな人に似ています。
自分よりも字が雑で汚いけれど、点数が自分よりも良い人のことを、「字が汚いくせに」とプライドが邪魔をして許すことができない人たちです。
点数が良い人からすれば、読める範囲の字の汚さなら点数には関係ないので、「負け惜しみ」でしかありません。
現在のビジネスシーンではネクタイをする人が随分と減りましたが、仕事のできる人はネクタイをしていない人が圧倒的に多いです。
つまり、「過剰にきちっとした相手は要注意」です。
自分流を押し付けられるだけでなく、一流になるための力を削り取られてしまいます。
必要以上にきちっとするのはエネルギーの無駄でしかありません。
自分の才能を発揮することに意識を集中させて下さい。