「終わり良ければすべて良し」
これは嘘です。
年齢を重ねるにつれて、身近な人が亡くなることが増えてきます。
人は誰もが死ぬものであり、永遠に生きながらえる人類はいません。
生きるということは、死ぬということでもあります。
常に死に向かって私たちは生きているからです。
そうして死に向かって生きる私たちは、どんな人生なら幸せだと感じるのでしょうか。
実際に人の死に直面してみて私が感じた率直な感想は、「終わり良ければすべて良し」というのは嘘だということです。
いくら終わりが良くてもプロセスが充実していなければ、その人生は失敗だと思います。
そもそも「終わりが良い」とは何のことでしょうか。
最期の瞬間を、多くの人に看取られることでしょうか。
最愛の人が傍に居てくれることでしょうか。
それが「とても幸せなこと」と思う人もいるかもしれませんが、そんなのは良い終わり方でも何でもありません。
例えば、戦場で戦って死んでいく兵士たちを想像してみて下さい。
彼らの最後は多くの人に看取られることはありませんし、最愛の人が傍に居てくれることもありません。
だから人生は失敗かといえば、決してそんなことはありません。
偉業を成し遂げた成功者が、ジョギング中や旅行中に心臓発作で亡くなったとしても、私にはとても不幸だとは思えません。
孤独死する元スーパースターが不幸だとも思いません。
なぜなら彼らは、人生のプロセスが充実していたからです。
私が中学生の頃、仲の良かった友人がお風呂場で転倒し、頭を強く打ちそのままお風呂で溺死しました。
友人は、字が綺麗で、ピアノがとても上手でした。
学校帰りに家に寄ってピアノを聴かせてもらったり、他愛もない話で盛り上がったことは、今でも思い出す時があります。
当たり前のように学校で話して、「また明日」と言って別れた相手に、「明日」は来ませんでした。
親しく会話をした人間が、突然この世のものではなくなる経験は、その時の私にとって衝撃的なものでした。
友人が、どれだけ一瞬一瞬を大事に、納得して生きていたのかは分かりません。
私は友人がいなくなった瞬間から、そのことに気付きました。
自分の価値は、他人が決めるものではありません。
人生の価値は、自分に与えられた時間を、どれだけ好きなことに配分できたかで決まります。
今この瞬間を、どれだけ納得して生き切ったのか。
その積み重ねが、人生の価値を決めます。
今この瞬間を生き切った人は、死に際に必ず「まあこんな人生だったら、もう一度経験してもいいかな」と自分の人生の価値に納得し、感謝できるはずです。
人生は、結果がすべてではありません。
今この瞬間を生き切って、人生の価値を決めて下さい。