「私は褒められて伸びるタイプです」
「部下は褒めて伸ばさなければいけない」
このようなことを言う人がいます。
結論から言うと、それは嘘です。
褒められるということは、なめられているということです。
褒められて伸びるのは、幼児が習い事をスタートして間もない頃だけです。
それは幼児が精神的に未熟であり、忍耐力も備わっていないため、褒めてあげないと継続できないからです。
幼児でさえ、初期の教育段階を乗り越えれば褒めるだけでは伸びず、時に、より厳しい指導も必要になります。
いい大人が褒められないとやる気にならないなら、幼児未満の精神年齢に近いということです。
幼児未満だからこそ、褒められないと拗ねてしまうのです。
拗ねるという言葉の「拗」という字をよく見て下さい。
「幼」に、手偏がついています。
「幼い手」、つまり「幼い手段」が、拗ねるということなのです。
自分がチヤホヤされないと、幼い手段を使って拗ねるということです。
「褒められて育った」から、「これからも褒めてほしい」「可愛がられたい」は通用しません。
幼い手段を使うのは、恥ずかしい行為です。
ここでヒヤッとした人は、まだチャンスがあります。
「褒められないとやらないこと」は、人生でやるべきではありません。
「褒められるためにやる」というのも、間違っています。
褒められなかった時に、拗ねてしまうからです。
むしろ、「褒められなくてもやること」が、自分の本当にやるべきことなのです。
少し冷静になって考えてみて下さい。
そもそも褒められるということは、「なめられている」ということです。
なぜなら、褒めるというのは、上から下に向けての行為だからです。
例えば、社長が平社員を「でかした!」と褒めることは許されても、平社員が社長を「でかした!」と褒めることは許されません。
このことに、若い頃から気付く人もいます。
そして、学校の教師に褒められるたびに酷く落ち込み、新入社員になったら上司や先輩に褒められることに強い違和感を覚えます。
褒められることに対して、常軌を逸するほど嫌悪感を抱くのです。
組織の中で生きていく上で、このような態度は良くありません。
その代わり、褒められるために勉強をすることはありません。
褒められるために仕事をすることもありません。
褒められることは、なめられている、下に見られているということです。
褒められるために頑張っても、成長はありません。
自分のために頑張ることで、飛躍できます。
自分のための「褒められなくてもやること」を徹底して続けて下さい。