見返り

 

私たちを怒らせたり、不愉快にさせる大きな要因の一つに、「見返りを期待する気持ち」があります。

 

「あの人にこれだけ恩を売ってあげた」と言う自分の思いが強ければ強いほど、その人の見返りが得られなかった時の失望感も大きくなります。

 

「自分が挨拶したら相手も挨拶を返してくれるだろう」という期待があるから、そうでないと腹が立ちます。

 

いろいろ世話をしたら、いつか恩返しをしてくれるだろうという期待があるから、そうでないとき、「あんなに面倒を見てやったのに、礼儀知らずだ」と腹が立ちます。

 

でも、所詮は他人です。

 

自分の思い通りに行動してくれるとは限りません。

 

むしろ思い通りにならないことのほうが多いものです。

 

子どもに対する親の気持ちも同じです。

 

親が理想とする子どもに育ってほしいと願い、いろいろ買ってあげたり、教育の機会を与えたり、遊びに連れていったりします。

 

親の価値観に合う子どもに育つように、先回りして助言します。

 

だからこそ、グレたり反抗したり、親の期待とは正反対のことをするからイライラします。

 

しかし子どもだって他人です。

 

子どもには子供の人格があり、適性があり、考え方があり、生き方がある。

 

親の理想とは違ってあたりまえです。

 

だから、他人に何かをするときは、見返りを期待せずに、自分のためにやればいいと思います。

 

「してあげる」という意識を捨てて、自分が嬉しいから、楽しいから、トクをするから、という理由で行動すればいいと思います。

 

挨拶をするのは、相手のためじゃなく自分に元気を与えるため。

 

部下を育てるのは、部下の為ではなく自分がラクになるため。

 

ボランティアをするのは、弱者のためではなく自分の奉仕精神を満足させるため。

 

子どもに尽くすのは、将来世話してもらうためではなく、単に自分が楽しいから。

 

少しでも「自分のため」と思えなければ、やりません。

 

奉仕しない、尽くさない、お金も返さない。

 

こう書くと、なんだか性格悪い人のような印象がありますが、見返りが欲しいという気持ちを捨てると、自分のやることがすべて充実したものになります。

 

相手の反応が気にならなくなり、平穏な感情を維持できます。

 

たとえば、2014年にふるさと納税が流行ったのは、故郷や地域のためだけではなく、自分のためにもなるからです。

 

米や野菜などの特産品がもらえて、なおかつ2000円を超える金額は住民税の還付で戻ってくる(人によって上限が異なります)にもかかわらず、自治体にはお金が落ちて感謝されます。

 

ボランティアだって、道徳心よりも、自分のブランディングツール捉える。

 

活動の様子を写真に撮ってSNSやブログなどにアップすれば、「社会貢献に積極的な人」という印象を与えることが出来ます。

 

そう考えれば、自分にメリットがあるので、他人に尽くすことが楽しくなります。

 

それでいて周り感謝されるのですから、見返りがなくてもOKというわけです。

 

タイトルとURLをコピーしました