嫉妬

 

成功者が現れると、「どうせあいつは詐欺まがいのことをしてたんだろう?」「そのうちダメになるさ」と言う人が現れます。

 

同僚や部下が先に昇進したとき、「なんであいつが」「会社は見る目がない」と言う人がいます。

 

客観的に見ればみっともないことだと分かっていても、当事者になるとついそうした感情に支配されてしまいます。

 

そういう人は驚く程多く、実際、世の中は嫉妬で渦巻いています。

 

こうした嫉妬をする人には共通点があります。

 

まず、負けず嫌いにもかかわらず、真正面から勝負を挑む度胸がありません。

 

また、努力して相手を上回ろうという向上心がない一方で、自分が劣っていると認めたくないという、プライドばかり異様に高い傾向があります。

 

他人を蹴落とすような言葉を吐くのは簡単ですし、自分の立ち位置を相対的に上げることができます。

 

ただ言うだけ。

 

書くだけ。

 

努力も勝負も気力も知性もいりません。

 

簡単に自分の溜飲を下げることができるのですから、嫉妬に逃げる人が多いのは当然と言えば当然です。

 

そんな嫉妬の最大の問題は、人から学ぶ機会を自ら奪ってしまうことです。

 

他人の成功の要因を緻密に分析することできなくなります。

 

これは大きな機会損失です。

 

嫉妬は人間の想像力をも低下させます。

 

「金持ちからもっと税金を取れ」という意見に納得できる人は多いでしょう。

 

しかし彼らには、私たちがテレビを見ている時も、寝ている時も、飲みに行っている時も働いていた、という過去があります。

 

その努力と引き換えに金持ちになったという裏側を想像すれば、「金持ちに重い税金を課せ」という主張がどれほど身勝手なことか、と思えてこないでしょうか。

 

もしかしたら、「尋常ならざる努力の末に彼らの成功がある」と認めると、自分の無能さや努力不足を認めてしまうことになり、自尊心が傷つきます。

 

だからそんなこと、想像したくもない、と言うことかもしれません。

 

相手を貶めて溜飲を下げたり、「自分には興味ない」と無関心を装ったりすることは、自ら想像力を奪い成長の芽を摘むだけです。

 

こうなったとき、本来は資産であるはずの頭脳が、負債となってしまいます。

 

悔しがることと嫉妬は、似ているようでまったく異なる感情です。

 

嫉妬で自分の行動は変わりませんが、悔しがることは「自分の努力レベルでは負けたままだ」「ヤツを上回る為には、もっと努力をしないといけない」と自分のモチベーションを高める燃料になります。

 

劣っていることを自ら認め、相手がうまくいった理由を緻密に分析し、自分は何をすべきかを特定し、そこに向かって行動を起こす。

 

そうやって、嫉妬心を成長の原動力に振り向けるのです。

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