最後はメンタル

 

多くのトレード実践者が、「最後はメンタル。心の問題だ。」と口にしています。

 

個々の売買判断も、そもそもどんな手法で利益を狙うか決めるのも、さまざまな感情を伴う心の問題だからです。

 

では、滝に打たれて修行すると儲かるようになるのか?

 

苦しい場面を乗り越えるために《不屈の精神》を身につけるべきなのか?

 

そんなはずはないと思います。

 

崇高な精神の持ち主になる、全てに達観する。

 

これも違うと思います。

 

超人的な精神力を手に入れたり、感情を捨てた《売買マシン》になろうとするのは自由だと思いますが、ほとんどの投資家は実現できないのだから、私はおススメしません。

 

FXで儲けたお金は、有意義に楽しく使いたいですよね。

 

人間くさい存在のまま、ちょっとリッチになりたいですよね。

 

つい目先の利益に目を向けてしまうのが投資家の《本能》ですが、それは売買の場に立ってから働く本能なので、いわば人工的なFXに臨むうえでは事前に、どこに向かうか、どんな投資家を目指すかを、脳で考えておく必要があると思います。

 

投資、トレードという行為を高い支店から眺めると、目先の利益を追う行動もアクセサリー的なものなら、トレード手法を選ぶ行為もアクセサリーです。

 

日々の相場解説や、ちょっとした予測情報など、否定しようのないアクセサリーだと思います。

 

それならアクセサリーをちりばめる本体、骨組みをつくるのがゴール設定であり、私たち自由な個人投資家は、感情を殺すのではなく、感情を生かしてゴールを想像し、頭の中でリアルな映像の高めることで、真の意味を持つゴールとします。

 

ですが、「FXで一億円つくる」と言うと、周囲の人は皆否定すると思います。

 

「そんな夢みたいなこと言うな」「額に汗して働きなさい」と説教する人もいると思います。

 

そんな世間の常識も、妥協の世界に生きる周囲の人たちの忠告も、私たち投資家には害でしかないと思います。

 

このように整理して、「自分だけで自由に考えよう」とすることこそが、投資家のメンタルトレーニングだと思っています。

 

日本では、ごはん茶碗を食卓に置いたまま食べないですよね。

 

茶碗を手に持って、箸で口に運ぶのが失礼のない食べ方です。

 

しかし、韓国では、ごはん茶碗を手に持つのがマナー違反らしいです。

 

その韓国では、食器に綺麗に並んだ食材を「まぜまぜ」して食べるものが多いようだが、日本では「まぜまぜ」する料理があまりなく、少なくとも、伝統的な会席料理などで、「まぜまぜ」するのは御法度だと思います。

 

国や地域、状況における常識は異なるものです。

 

さて、FXでは毎日、全銘柄に値がついています。

 

これは、真剣に考えて「買いだ」と結論づけて行動した人と、確信をもって「売りだ」と決断した人、どちらも同じように存在していることを意味します。

 

つまり、真逆の常識がぶつかり合っているということです。

 

そこに身を置くプレイヤーたちは、世間の常識に惑わされないように注意しながら、一方で視野を広く保ち、ちょっとした《気づき》を得ることを怠ってはいけないと思います。

 

お金が飛び交う世界では、つい錯覚に陥ってしまうことがあります。

 

「自分は大丈夫」と思うのもメンタルの強さだが、「きっと錯覚している」と認めるのも強さであると思います。

 

では、「相場に負けはつきものだから、負ける時のことを考えるべき」という考え方と、どちらが正しいかを議論するべきか?

 

そうではないと思います。

 

どちらも真実であり、それを真実として成立させるのが、それぞれの常識なのです。

 

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