人間の行動を100%プログラムにすることはできません。
普段五つの条件がそろって仕掛ける人が、たった一つの条件、あるいは五つの条件から派生する別の理由で仕掛けることだってあります。
そもそも、たとえ条件が五つ揃ったという場合でも、実際は感覚が主体の瞬時の判断で行動していたりするものです。
それに対してシステムは、肌感覚による理解が正しいかどうかを、検証によって確認できます。
たとえば、「RSI(相対力指数)が30%を下回ったら買い」といっても、実際にトレードすることに繋がりにくいです。
しかし、EAを組んで具体的な売買ポイントを設定すれば、長期間を過去データを使った検証もすぐに出来てしまいます。
数式が全てではない、完全なものではない、という前提を忘れなければ、「見えなかったものが見える」という大きな効果があると思います。
あるルールについて、この時代では通用したけれど、別の時代では通用しない。
では、どんな条件の時に適用するのか、というようなことが理屈で導き出されることもあると思います。
すると、複数のルールを使い分けるという発想も生まれます。
もちろん、理屈が正しいだけで実行できない理論に達することもありますが、コンピューターのプログラムに主導権を奪われなければ、戻ってやり直すことが可能です。
システムも裁量も根幹の発想は生身の人間によるものなので、特性は異なるものの、根本的に“同じもの”だと考えても良いと思います。
そういう論理も成り立ちますが、あえて別のものだと考えてもいいのではないでしょうか。
まず、トレードシステムは統計学だということです。
長期に実践することで結果がでるものなのです。
裁量の感覚でシステムを使うと、使い始めの一時間に結果が出ないだけで、「ダメだ」なんて結論を出し、スイッチを切ってしまうなんて大きな間違いです。
「人間の代わりにトレードしてくれる」という考えを捨てればいいと思います。
投資信託と同じような「一つの金融商品」だと思えば、わかりやすいと思います。
トレードを代行してもらおうとするのではなく、「このシステムに、いくら投資できるか」と考えると良いと思います。
システムと裁量のどちらを選ぶのかではなく、システムと裁量の「融合」だと考えて下さい。
まずは、使い分けです。
お掃除ロボットというものがありますが、床の上は綺麗にしてくれても、テレビの裏のほこりは取ってくれません。
そこは、人の手でやるのです。
こういう「常識」を当てはめれば、システムと裁量のバランス良い使い分けが成立します。
システムと裁量、それぞれがカバーする範囲を分けて考えるとスッキリすると思います。
また、場面による使い分けもあり得ます。
たとえば仕掛けは知識や経験に基づいた「裁量」の判断で行い、手仕舞いは、恐怖や欲望に左右されない「システム」によって行う、という考え方だって実行に移せます。
システムと裁量の量場面を大切にしていれば、トレードの対する視野は大きく広がっていくと思います。