予想と仮説

 

皆さんは、「予想」と「仮説」の違いは分かりますか?

 

「予想」というのは、一本道。

 

そして、その予想がはずれた場合、「別案」がないのです。

 

よく、「競馬予想」などと言いますが、「予想」がはずれたらそれでおしまい、というところがあると思います。

 

一方、「仮説」というのは、「答え」(ゴール)を決めて、その答えにどうすれば辿り着くかという「実験」を繰り返すことです。

 

つまり、改善・修正の連続です。

 

なので、たとえ、仮説がはずれた場合でも、はずれたと思われる個所から仮説を立て直し、実験をし直すことが出来るのです。

 

つまり、一度限りの勝負でもなく、「改善」が加えられる、ということです。

 

仮説は何度も修正可能ですし、成功するまで実験を繰り返せばいいわけですから、最後には必ず成功に結び付くのだと思います。

 

その際、必要となるのが、一つの方向から答えを導き出すのではなく、いろいろな方向からの意見を検証するということです。

 

あらゆる角度から物事を見ることで、失敗のリスクはどんどんそぎ落とされていくと思います。

 

計画は「予想」で立てます。

 

そして、戦略は「仮説」で立てます。

 

計画は、立ててしまうと「道草」が出来ません。

 

そして、立てた通りに動かなければいけないという意識が自然と働くと思います。

 

その結果、計画に自分を合わせなければならなくなってしまいます。

 

つまり、余裕がなくなってしまうのです。

 

一方、仮説は、「計画」ではないので、ゴールさえ決めていけば、途中でどのように動いてもいい、という自由さがあると思います。

 

ちなみに、「無計画」は実は最高だと思っています。

 

計画せずにいると、ふと、ものすごい人に会えるかもしれないし、思いかけない場所に突然行けるチャンスに巡り合うかもしれないからです。

 

「無駄なこと」というのは、「できればやらなくていい」「やるだけ損」と思われがちだと思います。

 

しかし、むしろ、「無駄なことの中にしか、大事なことはない」とさえ思っています。

 

無駄なこと、ばかばかしいことをやるのには、次のメリットがあります。

 

それは、とんでもないこと、とてつもないことほど、チャレンジする人が少ないものだと思います。

 

ですから、ライバルが少ないのです。

 

なので、他の人がやらなければ、やらないほど、自分がやって成功する可能性が高まる、とうことです。

 

そもそも、無駄なことというのは誰にとって無駄なのでしょう。

 

たいていは見ている人が勝手に「無駄」と判定しているだけのことだと思います。

 

実際に、周りで成功している人を見ると、一見無駄なことばかりしているように思うこともあると思います。

 

しかし、それは心に余裕があるからこそできるのではないか、と私は思うのです。

 

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