孤独を恐れる人は、他人からの評価を過剰に気にする傾向があります。
「周りからこう思われたらどうしよう」など、自分が小物扱いされる事を極端に恐れます。
自分の価値観や判断軸に自信を持つことができず、他人からの評価でしか自分の価値を認識できません。
他人の目を通してしか、自分の存在を確認できません。
その過剰な承認欲求は自己肯定感の低さに起因します。
自分では自分を認められないので、他人に認めてもらう事でその承認欲求を満たそうとするわけです。
ですが、孤独を楽しめる人は、他人からどう思われるかをそこまでは気にしません。
独りでも大丈夫と思えるのは、自分を信頼し、自分の価値を自分で認める事ができるからです。
だから、他人からの評価を過剰に期待しません。
孤独を恐れない人とは、自分なりの評価基準を持ち、それに自信を持っている人です。
そしてこれは、適切な自己肯定感を育むことができている事を意味します。
そもそも自分とは、他人の為に生まれてきた存在ではありません。
人生は椅子取りゲームではないので、他人と比較したり競ったりしても、そこに幸福があるとは限りません。
むしろ、皆が限られた椅子を巡って目を血眼にしてグルグル回っている時、自分はその輪から離れて独り静かに過ごす方が、心が満たされるという人もいます。
それは、社会からドロップアウトする事や、脱落して隠居する事でも、行き過ぎたミニマリストを目指す事でもありません。
他人には他人の幸せの形があり、自分には自分の幸せの形があるという違いを認めているという事です。
他人が言う成功を追いかけさせられ、社会が求める生き方を強いられ、常に他人と比較して一喜一憂するのは疲れるだけです。
だから、他人を意識した生き方ではなく、どういう自分になる事が幸福なのか、つまり自分自身を評価する指標を持つことが大切です。
自分が持つ軸で世界を捉えて、目先のトラブルや小さな利益に右往左往する事なく、常に自分の立ち位置を見失わず、理想とする人生哲学に基づいた発想、そして行動をするには、ひとりひとりのペースで、それぞれの成長過程において一定の心の熟成を果たしていく必要があります。
それは、自分を評価する基準を絶えず見直し書き換えていく事であり、いわゆる「社会性」とは隔離された所で行う内的作業です。
修行僧が「俗世」というように、俗世的な評価基準を一旦白紙に戻し、自分が独りになった時でも拠って立てる根拠は何かを自らに問うのです。
「器のレベルが違う」と言われるように、精神の成長度合いは人間としての性能を決定づけます。
それが発言や行動に現れ、「差」になっていくからです。
そしてこれは、年齢や学歴などとは関係ありません。
精神が未熟で幼稚な大人はたくさんいますし、若くても成熟した人はたくさんいます。
そこでそういう境地に達する1つの方法は原始的ではありますが、自分が出すべき価値を特定して、成功体験を積み、そこから自信を得ていく事です。
「努力して到達した」という経験は、「自分のやり方でもできるんだ」という自己信頼に繋がり、「他人はどうであれ、自分はこれでいいと思う」という根拠になります。
自分で自分を認める事ができると、他人の事も認める事ができるようになります。
すると、「嫌い」「イラっと来る」という感情がなくなり、「そういう人もいるのね」くらいで、他人を否定したり拒絶したりする感情も薄くなります。
それは心の安定と余裕をもたらし、ちょっとした出来事に動じる事もなく、日々平穏に暮らせる基盤となります。
私が自分に自信が持てたのは、多くの人から「変」と言われていた事と、普通に工場で働いていた時に周りの人より仕事ができてたみたいで評価が良かったという所からです。
私は今でも「多くの人とは全く思考が違う、特別な存在」だと思ってます。
「変人」だと認めてます。
この歳にして、こういう事を言っているのも痛いかもしれません。
でも、私から言わせてもらうと、皆が「変」と言っている事を素直に認めているだけです。
私は「誰からも理解されないんだ」と思って昔は苦しみましたが、「自分は特別だから理解されないんだ」という認識にした時から、スッキリしました。
「私を理解したくても、できないんだ」という捉え方になりました。
見下すようになったわけではありませんが、そうでもしないと自分を保ってられなかったんだと今では思います。
本当に自分の存在価値には悩まされました。
そこを越えて今があります。
私は未だに自分の存在価値を探しています。
今では毎日皆さんに私の記事を読んで頂いてて、少しは存在価値があるのかなぁ~?と思えるようになりました。
ですが、まだまだ自分の気持ちが満たされません。
これは「数」で満たされるものなのか「内容」で満たされるものなのか私には分かりません。
自分の存在価値はお金では買えません。
私は毎日何事もなく、幸せに生活できています。
表向きは幸せですが、私が求めているのは自分の存在価値なんです。
自分が納得いく自分の存在価値を見つける事が私の人生の目標だと思います。
まだまだ私はこんな所では止まれません。
私も人生の目標が達成できるように前進し続けます。
皆さんも目標達成できるように一緒に頑張っていきましょう。