皆さんは、明らか無駄なことに時間を使っていませんか?
いくら時間をかけることが大事だと言っても、「明らか無駄なこと」に時間をかけることは得策ではないということです。
やり方を変えたり、道具を替えたり、仕組化したりすることで、もっとうまくできる方法があるのであれば、積極的にやるべきだと思います。
しかし、明らかに無思考なせいで非効率なことをしているのであれば、効率化をするための時間の使い方も取り入れるべきだと思います。
逆に、人と会ったり、街歩きで情報を得たりするなど、見えないリターンを求める時には、無理に効率を考えない方がいいと思います。
時間の「質」を考え、時間の価値を高めるために「刃を研ぐ」ことを意識してみて下さい。
また、同じようなことは、「知識」にも当てはまります。
知識は、今すぐ役に立つものばかりではありません。
というより、もしかしたら、すぐに役立つものは「ただの情報」であって、「知識」ではないのかもしれません。
時間が経ってから、「あの時に本で読んだのはこういうことだったのか」と思い返し、見える世界が大きく変わることがあります。
長い時間をかけて読んだ本は、自分の血肉になるのです。
これも、長期的に時間を味方につけている好例だと思います。
明らかな無駄を削る一方で、少しでも成長できるものには長期的に時間をかける。
その「二面性」を理解することで、投資家的な時間の考え方が身につきます。
経済学上でお金の定義は、「交換の手段」「価値の保存」「価値の尺度」という3つの機能を持つものとされています。
お金が存在しなかった時代には、人々は物々交換をしていましたが、お金を介せば物やサービス交換ができます。
将来のために貯めておくことができますし、物やサービスとの交換において目安となる物差しの役割も果たします。
こうした機能だけ見ると、お金はとても便利なツールです。
しかし、私たちは、「お金が好きだ」「金儲けは嫌いだ」と、感情を抱くことがあると思います。
実は、ここにこそお金の本質が隠されているのです。
たとえば、コンビニで買ったお茶の「150円の行方」についてですが、何気なく支払った150円は、直接的にはコンビニの売上となります。
しかし、その裏では、飲料メーカー、運送業者、倉庫会社、お茶の農家や農協、パッケージの印刷会社やデザイナー、お茶のCMの広告代理店やタレント事務所・・・、と無限に広がっていきます。
私たちが使ったお金は、誰かの給料になっているし、私たちが得る給料も誰かの使ったお金なのです。
こうして、全ては繋がっていることを、経済用語で「互恵関係」といいます。
お金そのものは無色透明な存在ですが、お金を通じて誰かを支え、お金によって誰かに支えられてる。
そのことを自覚すると、途中にお金がカラフルで明るいものに思えてくるはずです。