皆さんは、「お金が嫌い」になる理由が何か分かりますか?
お金はエネルギーを溜め込んだ「缶詰」であると考えています。
すると、2つの側面が見えてきます。
1つが、「過去の缶詰」です。
その人が過去に行ってきた努力や働いた報酬、時間、あるいは家族から受け取る遺産など、過去の結果が詰まっているのです。
もう1つが、それを使うときの「未来の缶詰」という側面です。
お金は自分のために使うだけでなく、使い方次第で他の人を幸せにすることもできます。
お金を使えるのは、いつだって未来に向けてだけなのです。
皆さんはお金に対する思いは、「過去」「未来」のどちらに重きが置かれていますか?
何か将来にやりたいことがあれば、お金は未来に向けられた「可能性」「選択肢」「自由」であると感じられると思います。
すると、お金に対して「好き」という感情が生まれやすくなります。
逆に、「やりたいこと」がない場合、お金の「過去」の部分に思いはフォーカスされます。
そうすると、「お金は自分の評価を突き付けるものだ」「他人と比較されるものだ」と、ネガティブに捉えてしまい、お金のことが「嫌い」になってしまいます。
投資家のように考えるためには、お金のことをもっと知り、お金のことを好きになる必要があります。
お金を知ると言っても、難しい経済の知識を知る必要はないと思います。
昨日という、ごく近い過去の話でも、意外と詳しく思い出せない人が多いと思います。
家計のやりくりをきちんとしている人や、自分で税務申告をしている自営業の人など、ちゃんと買い物の内容や金額を覚えているのは難しいと思います。
それなりにお給料をもらっていて、自由に使えるお金がある人ほど、「覚えていない」と言います。
これは、消費活動に無自覚な状態です。
なぜ、お金を使うことに無自覚になってしまうのでしょうか?
特に、消費の無自覚さに拍車をかける原因は、「コンビニ」の存在ではないかと思っています。
帰宅途中、吸い寄せられるようにふらりとコンビニを立ち寄って、特に欲しかったわけでもないけど、なんとなく飲み物とお菓子を買って帰る。
そんなコンビニでの買い物は、「欲しいものを買う」という純粋な消費であるよりは、ちょっとした寂しさや退屈さを紛らわすための「心の隙間」を埋める行動と言えるかもしれません。
そういうときの消費に関して、無自覚になるのもうなずけると思います。
また、全国あちこちにあるコンビニのATMも無自覚さの原因で、「財布が空になれば下ろせばいい」という習慣になり、日々の消費に無自覚になっていくのです。
その結果、自分が何にいくら使っているかを思い出せなくなります。
投資家のように生きるには、そのマインドから抜け出さなくてはなりません。