他人の目

 

他人の目が気になる人、社会は窮屈で生きづらいと感じている人は、実は自己中心的な人です。

 

そういう人は、「自分が周りからどう思われるか」が最大の関心事であり、自分の事しか見えていないからです。

 

他人の為に気を遣って神経をすり減らしている人も、思いやりがあるからそうしているわけではありません。

 

自分が「いい人」と思われたい、あるいは嫌われたくないという感情が優先しているから過剰に周囲に配置しているのです。

 

健全な人は、まず自分の意志を主軸に置きます。

 

「自分はこれがやりたい・やりたくない」「自分はこれが好き・嫌い」といった意思が先にあり、その上でその判断が周囲に迷惑をかけないよう、できる限り配慮します。

 

この「できる限り」がポイントで、人は何をしなくても他人に迷惑をかける事があります。

 

小さな子供に寄り添って歩いていたら、後ろから「のろい」「邪魔だ」と怒鳴られるかも知れません。

 

「すごいですね」といったら、喜ぶ人もいれば嫌みだと受け取る人もいると思います。

 

そもそも自分という人間は、他人の為に生まれてきたわけではなく、他人に迷惑をかけないために生まれてきたわけでもありません。

 

なぜ、他人の評価をそれほどまでに重視して疲れる必要があるのでしょうか?

 

なぜ、自分の幸福感が他人に左右されなければならないのでしょうか?

 

他人の評価がなくても、自分は自分のままでいいんだと思える心の獲得が必要です。

 

特に「人には嫌われるのが怖い」という人は、人間関係で疲弊しがちです。

 

他人の評価を気にして、いい人であろうとして、自分の意に反する事でも相手に合わせたり、従ったりするからです。

 

しかしこれでは深い人間関係を築く事はできません。

 

なぜなら、本音を見せない人は「何を考えているか分からない人」「こちらに対しては警戒している人」と映る為、相手もその人に踏み込んで行けないからです。

 

ぜっかく自分を押し殺してまで相手に気を遣う努力をしているのに、報われないどころか逆にマイナスな行為をしているのです。

 

親しい関係をつくりたいなら「自分はこう思う」を出していく必要があると思います。

 

もちろん、自分の意思を示せば、違う意見・違う主義を持っている人とぶつかる事になります。

 

しかし、全く同じ価値観の人はいないのですから、それはある意味当然の事です。

 

大事なのは、「あなたと自分は違っていいんだ」と認め、受け入れる事なのです。

 

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