悩みは、向上心から生まれる事もあれば、執着から生まれる事もあります。
特に執着は「ねばならない」「であるべきだ」という発想に繋がりやすく、悪い悩み方になりやすい傾向があります。
例えば「怠けてはいけない」「諦めてはいけない」「他人を恨んではいけない」「人生とは苦しいものだ」「世の中は甘くない」「この程度で満足してはいけない」などといった刷り込みや自分の信念に対する執着は、時に自分を鼓舞する一方で、時に自分を縛る足かせになる事があります。
「夢」や「目標」も、執着と表裏一体です。
やる気や向上心、努力につながる執着はおおいに持つ方が良い一方で、悩みや身動きが取れなくなる執着は捨てた方が良いのです。
執着がなければ、「結果は結果でいい」「まあ、これでもいいだろう」などと、穏やかな気持ちで状況を受け入れられると思います。
それは自暴自棄とか簡単に諦めていいという意味ではなく、ある種の「寛容さ」です。
例えば「何が何でも東京大学に行きたい」と執着すれば、東大に受からなければ落胆します。
しかし「受かったところでいい」と考えれば、挫折や劣等感とは無縁で楽しいキャンパスライフになると思います。
人間関係で悩むのも、「いい人でいないといけない」「嫌われてはいけない」「人間関係を円滑にしなければいけない」という執着があるからだと思います。
なのでまずは、自分が執着している事、わかりやすく言えば「夢」「目標」「理想」「こだわり」を捨てていく事もまた、悩み方の開放への道だと思います。
もちろん、夢や目標を持つ事を否定しません。
それで成功する人はいるでしょうし、それで幸福になる人もいると思います。
目標を持つメリットは、「やるべき事」「達成すべき事」「努力する方向性」が明確になる事です。
スポーツなら自分の記録やライバル校を目標に、受験なら偏差値や志望校を目標に、仕事でも数値目標など目指すべき筋道がはっきりします。
それが更にモチベーションを高めてくれ、乗り越えれば達成感や充足感を得られるという事です。
「やればできる」という自信にも繋がります。
一方で、そんな夢や目標はなくても生きて行けますし、幸福を掴み取る事も十分に出来ます。
むしろ、何もないからこそ自由で毎日が楽しいと感じるくらいです。
というのも、夢や目標がないからこそ「その実現のためにはこれをしないといけない」という義務感ではなく、「とにかく楽しい事、ワクワクする事、やりたい事だけしよう」という、本能や欲求に忠実に生きる事ができるからです。
人生には正しいも間違いもなく、「楽しい生き方」と「そうでない生き方」があるだけだというのが私の考えです。
なので楽しく生きるには、自分の直感で楽しめそうな選択をしていけばいいと思います。
どうせ自分なんて生きていても意味がない、人生に意味はあるのだろうか、自分が生きている価値なんてない、などと悩む人がいます。
自分が生まれてきた意味とか人生の意味とかは、他人に与えてもらうものではなく自分で見出すものだと思います。
何もしないで最初から決まっているわけでもないし、悩んだから答えが出てくるというものでもありません。
動いて初めて結果が出て、後で振り返って「こういう意味があったんだろう」などと感じるものです。
それは誰かに与えもらうものではなく、自分でそう解釈しているに過ぎないのです。
そしてその意味も経験や年齢などによって変わると思います。
つまり、自分がまだあまり動いていない段階では、人生に意味はないし意味づけも不要です。
意味を考える事自体に意味がなく、それよりも自分が打ち込めるものを見つける事です。
夢中になれるものがあれば、そんな事で悶々と悩む暇などないと思います。
自分で旅に出る人も同じ精神構造で、自分が何者かは、自己実現を目指して努力する過程で見える「適性」や「資質」を感じる事です。
それなのに経験値が少ない段階で自分探しをしても何も見つからないわけです。
色々な事を経験しても「いいな」「好きじゃないな」「楽しい」「感動した」という感情を抱き、自分はどういう志向や信念を持った人間かを自覚していく。
つまり自分とは、成長過程の経験を通じて作り、それを自分なりに理解していくものなのです。