器用貧乏

 

たまに、なんでも器用にそこそこ立ち回れる人がいると思います。

 

小学校でもいたんじゃないかなと思います。

 

勉強の中の上、運動神経もよくて、リレーの選手に3番手として選ばれる。

 

絵もそこそこかけるし、歌も音痴と言うほどではない。

 

バイオリンもちょっと弾けたりしたら、さらにすごい。

 

そういう人を見て、「彼はなんでもそつなくこなせていいよね」

 

「苦手なものがなさそうでうらやましい」と思った事もあるのではないでしょうか?

 

「そこそこ」というのは、標準以上という事です。

 

何でも「並」以上なので、どんな場においても、なんとなくうまく立ち回れてしまいます。

 

そして、そこに危機感はありません。

 

それは当然だと思います。

 

なぜなら、何ごとも「標準以上」にはできてしまうからです。

 

それほど頑張らなくても、出来の悪い人が必死に頑張るよりよほど良い成績を収める事ができると思います。

 

適当にやっていれば、適当な成果があがるので、もちろん「どん底」を見たこともないし、そこはら這い上がろうというハングリー精神も生まれないのです。

 

ですから、「もっと上に立ってやるぞ」という気持ちも湧いてこない人もいると思います。

 

その結果どうなるでしょうか?

 

そこそこできるが故に、「それなり」の人生で一生終わってしまうのです。

 

「器用貧乏」とは、まさにこんな人の事を言うのだと思います。

 

また、そこそこできる人、というのは、自分のスタート地点が「そこそこできる」だから、何かできない事が発生すると、そこで止まって落ち込んでしまうのです。

 

しかし、できない人というのは、自分のスタート地点が「できなくて当たり前」と思っているので、何かできない事があってもめげる事はありません。

 

そして、できるまで、たとえ時間がかかったとしてもやり遂げるとするのです。

 

実は、人間や会社にとって、「失敗は宝」です。

 

失敗を修正し、改善してきた時、それが自分の経験となっていくのです。

 

このような事をふまえて、皆さんはそこそこの人生で一生を終わりたいですか?

 

心のどこかでは「このままで終わりたくはない」と言う気持ちを持っているのではないでしょうか?

 

そう考えると、そこそこできる、というのは、ちょっと怖い事かもしれません。

 

もちろん「そこそこの人生で十分」と思っているのであれば、それも良いと思います。

 

しかし、「今のままでいいのだろうか?もっとなんとかしたい」と気持ちがあるのなら、「自分はこれまでそこそこできる事に安住していなかったか?」と問いかけてみて下さい。

 

そして、これまでなんとなくうまくやって来た、と言う人は要注意です。

 

一歩踏み込んで、何かにがむしゃらに打ち込んでみる事を見つけても良いかもしれません。

 

後は、もし「大成したい」と思ったら、人の力を借りなければなりません。

 

その為にも、そこそこできる人よりも不器用な人の方が、最終的にはうまくいくと思います。

 

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