「無し」を「有り」に

 

他人の顔色ばかり窺っていると、気持ちがすり減って疲れてしまいます。

 

他人がどう思おうと関係ないと頭では思っていても、自分の判断や行動は正しかった、と事後に正当化する気持ちが働く事があります。

 

他人がやった事を極端に批判したり、自分の事は棚に上げて人の行動をとやかく評価する行動も、自分を正当化している事の表れなのです。

 

なぜ、私達は、事がおわってから自分を正当化する思考が働くのでしょうか?

 

それを知る為には、論理的な判断に関する直感優先原理、という考え方が役立ちます。

 

直感優先原理とは、何かが起こるとそれに対して自動的に直感的な反応をして、その後で、その直感的判断に有利な理由を見出して正当化するというものです。

 

これが現れる有名な実験があります。

 

2人の異性の顔写真を見せてどちらが好みかを尋ね、答えた後に好みの方の写真を渡してどこが好みなのかを答えてもらう。

 

すると、好みのポイントを細かく説明してくれるのですが、数回に1回、選んだ方とは違う顔写真を渡しても、そのひとはさも自分はそちらを選んだように好みのポイントを答える、というものです。

 

これほどまでに、自分の判断の理由が自らによって後付けされているのかと驚いてしまいます。

 

では、このような正当化をなぜしてしまうのでしょうか?

 

それには、私達は何をしたかより(自分が)何をしたと他人が判断するか、という事の方が重要になっているからだという見解があります。

 

他人の判断を気にして自分の行動を肯定する。

 

これが自然に行われているとすれば、自分の行動や判断を能動的に発信するほど、虚しさを覚えるのもうなずけると思います。

 

事後に正当化する事は避けられないとして、自分の行動や判断に虚しさを感じないようにするには、自分が発信する行動や判断を変えていく事が必要だと思います。

 

私達は、気づかないうちに、「私はこうするのが好き」「私はこういうタイプ」だと発信しながら、自分の行動の中で、この選択肢は「なし」と決めています。

 

例えば、常に人が企画した会に参加する側の立場で、私は自分からはやらないタイプと決めて、自分から主催側に手を挙げる事は「なし」にしているとします。

 

他人の企画にいいだの悪いだのとコメントする事が常になり、社内ではご意見番の立場が確立していても、ふと虚しくなる事がある。

 

そんな時は、「なし」だと思い込んでいる事を「あり」にしてみて下さい。

 

行動を変えようとする事はとても負担がかかると思います。

 

それは、その行動は「なし」だというルールが、自分の中で自然につくられているからです。

 

ルールを破ってまで行動化するには、よほどの外力が加わらなければなりません。

 

そこで、知らず知らずにつくられたルールを「あり」に変えるのです。

 

今まで自分が何を「なし」にしてきたのかを振り返ってみて下さい。

 

色々な「なし」がつくられていると思いますが、その中でかたくなに「なし」を守り続けなくても良い事があるはずです。

 

最も簡単に変えられる事から「あり」にしてみると、事後正当化の虚しさからは解放されます。

 

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