大企業の不祥事などの報道を見ていると発端はちょっとしたことから始まっているのがわかります。
これは「ゴミをまたぐ」という状態です。
ゴミが下に落ちているのが分かっているけれど、またいでしまおう。
そんな感覚で、ちょっとした事をまたいでしまっているのです。
ゴミがある事を隠して、取り返しのつかない事になってしまう。
そして突然、急に明るみに出るのです。
大企業に限らず、個人の人生でも「あの時ちゃんと対処していれば」と後悔する事は少なくありません。
人は目の中に入ったゴミはすぐに取ろうとするのに、なぜ、心の中のゴミはすぐに取ろうとしないのでしょうか?
「ゴミを拾う」という事は極めて重要な行為だと思います。
ゴミが落ちているのにまたいでしまうのは、「今忙しいから」「先にやらないといけない事があるから」と、意識が他に逸れてしまうからです。
実は、人にこういう反応を取らせるパターンが無意識にあります。
「見えない何かに動かされている」という誤った前提です。
誰しも、感情のテンションが高い時もあれば低い時もあります。
身体の調子が良い時もあれば病気の時もあります。
「なんとなく気分が晴れないのは、○○のせいかもしれない」
「体調が悪いのは、○○が原因かも」
常に見えない何かに支配されているため、「どうにもできない」と思ってしまいがちです。
普通の人は、感情も身体も役割も自分の望みも、自分と同一化しています。
このように、「見えない何かに動かされている」という前提・感覚の人もいれば、「感情も身体も役割すらも私自身ではなく、私が管理し、コントロールするものだ」という前提・感覚の人達もいると思います。
感情も身体も、何か問題があれば、その時に処理していく事で、「身体も感情も自分でどうにかできるものだ」と思えるようになっていきます。
ゴミをまたがずに拾う事で、人生を自在にコントロールする力を鍛えているのです。
時代が変われば役割は変化しますし、会社でも昇進すれば役割は変わります。
自分が本質的にどこに向かうのかさえ分かっていれば柔軟に変化して行けます。
感情や身体や役割に同一化していると、それらに振り回され、「本当の自分」というものが分からなくなってしまいます。
物事がうまくいく人は、感情も身体も役割も望みですらも、「これは本来の私ではない」という事を理解しています。
これらはすべて私の欲しいものを手に入れる道具でしかなくて、「その道具を私は管理しています」という前提・感覚なのです。
これを、感情や身体、役割から脱同一化すると表現します。