風潮

 

孤独なのは寂しい、孤立するのは人間関係の失敗、友達がいないのは人として問題あり、と考えられる風潮があります。

 

確かに、いつも自己中心的で、不評不満や他人の批判ばかり口にするような人には、誰も寄り付かなくなります。

 

しかし、そんな人はいつも孤立し孤独だったため、それが普通なので、あまり気にしないと思います。

 

一方、いい人は、こうした風潮を真に受けて、友達の少ない自分を無価値人間のように感じます。

 

なので孤独や孤立をひどく恐れ、群れようとするのです。

 

その為に自分を抑え、他人に気遣い、無理をして疲れます。

 

「ワンピース」や「NARUTO」といった少年漫画が、仲間や絆を重視して人気を博している事からも、根強い「友達こそ重要」という意識が社会を覆っている事がうかがえます。

 

また、家族や学校の先生、そして社会も「友達は大勢いた方がいい」「友達は多い方が人として価値が高い」という圧力をかけます。

 

「一年生になったら、友達100人できるかな」という歌がありますが、これも友情至上主義を私達に植え付ける洗脳教育の1つかも知れません。

 

そもそも人間が100人いれば、100通りの価値観や主義主張があります。

 

にもかかわらず、友達を100人持ち、その関係を維持しようとすれば、その100通りに合わせなければならなくなります。

 

もちろん、それが自分との相性がいい人で形成された100人であれば理想的です。

 

しかしいい人は、そうでない人にも合わせてしまいます。

 

100通りの人との関係を続けるため、演じなければならない頻度が増え、本心が言いにくくなります。

 

心が通じている感覚が持てなくなり、よけい寂しさを感じるようになるのが、いい人の陥りがちな人間関係なのです。

 

社会性やコミュニケーション能力をはぐくむためにも多種多様な人づき合いは必要かもしれません。

 

しかし、友達は少なくても全く問題ないと思います。

 

特に子供の時期に必要なのは、親にも言えない悩みや不安、例えば成績の悩み、恋の悩み、将来への不安といった、もやもやした奥深い感情を自分で認識し、それをなんとか言葉として表現し、魂レベルで交流する事です。

 

そして、深い交流には時間がかかるものですし、それができる価値観の合う友人というのは、そう多くはいないのではないでしょうか?

 

では、100人もの友達とそんなやり取りができるでしょうか?

 

時間は有限ですから、深いつき合いはできないと思います。

 

本音をぶつけられないとか、心の内側を理解し合えない友達がどれだけ沢山いても、むしろ寂しい事です。

 

なので、友達が少ない事は恥ずかしい事でも何でもなく、一緒に泣いて笑って悩みを打ち明けられる相手が1人いればいいと考えています。

 

100人との交流を否定しているのではなく、100人との触れ合いの中で、本当の自分に合う人をふるいにかけていけばいいという事です。

 

沢山の人と出会う事には楽しさもありますが、自分と感覚が合わない人は自然に疎遠になっていくものです。

 

そして自分の成長に応じて、相性が合う相手も変わっていきます。

 

そうやって都度、一緒に居て心地いい、我慢しなくてもいい、「ハワイに旅行した」などと見栄や虚勢を張らなくてもいい、緊張感なく何でも安心して打ち明けられる、沈黙した間があっても不安にならない相手を、たった1人得ていけばいいのです。

 

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