修羅場

 

友達の断捨離は比較的容易だと思います。

 

しかし、配偶者や仕事上のパートナーなど、いったん深くなった関係となる話は違います。

 

距離を置くだけでは簡単に逃げられないケースも少なくないからです。

 

例えば離婚は、勝手に家を出ていけばいいというものではなく、勝手に離婚届を出しても認めてもらえません。

 

法的に決着をつけなければ、人生の再スタートを切る事はできないのです。

 

あるいは誰かとお金を出し合って立ち上げた会社や事業から去る場面も、登記変更や契約書を交わすなどをしなければ、やはり法的なトラブルの懸念が永遠に付きまとう事になります。

 

しかし、この断捨離はそう簡単ではありません。

 

相手が認めない場合やいがみ合っているとしたら利害が相反しているという事ですから、お互い納得しての合意はほぼ不可能だからです。

 

そのためこの関係を「切る」には、「穏便に済ませる」という発想を捨て、「修羅場になる」という覚悟を持つ事です。

 

また、相手が離別に反対している場合に別れようとする時は、相当な心理的ストレスがかかり、それを乗り切るのは大変である事を認識する事です。

 

しかし「いい人」はそのストレスに耐え切れず、別れを断行できずに関係をずるずる続け、人生を棒に振ってしまいます。

 

ただし、修羅場とは悪い事ではなく、自分の活路を切り開くショック魔法のようなものです。

 

今までの嘘や隠し事、我慢や偽りを捨てて、現実と向き合うためのイベントです。

 

それに、わだかまりを抱えたまま無理やり笑顔をつくって別れるより、むしろもめて別れた方が気分もすっきりリセットでき、前に進む意欲となる事もあります。

 

ちょっと極端な例ですが、自分と浮気相手がいる所に、本当の恋人もしくは配偶者が鉢合わせたら、これは修羅場になると思います。

 

しかしこれも、今まで自分がついていたさまざまな嘘を現実に引き戻し、自分は誰が本当に必要なのか、相手は何を許せて何を許せないのかをはっきりさせるために起こる事です。

 

もっとも、これは分かりやすく説明するための極端な例ですが、もし自分は関係を終えたいのに相手が拒否したら、それはあなたが相手からうまく利用されている状態かもしれません。

 

あなたと付き合っているメリットがあると感じるから、相手は簡単に同意せず揉めるのです。

 

仕事関係でも、あなたと付き合っているからうまい汁が吸えるとか、専業主婦の妻が離婚を拒否するのも、相手がもたらすお金にしがみついているわけです。

 

暴力夫が別れたがらないというのもよくある話ですが、それは自分の感情を吐き出せる相手、暴力をふるう自分を受け入れてくれる相手を失うのが怖いからだと思います。

 

なので修羅場になるわけですが、自分にが日がないのに離別を拒絶してくる相手とは、もともと切った方が良かった人なのだと信じる事です。

 

「逆境は乗り越えるもの、修羅場はくぐるもの、挫折は味わうもの」と考えています。

 

逆境だから恨み節を言って終わりではなく、修羅場を恐れたり避けたりせず、挫折したからと言って落ち込まず、耳を塞ぎたくなる自分を抑え、心の声に向き合い、しっかり自分の中で消化しくいく。

 

その経験が自分をつくるのです。

 

他人や外界からの反応に振り回されにくい感情軸をつくる事につながると考えています。

 

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