空気を読む

 

一般的に空気を読む事が当たり前ですが、「空気を読む」と言う行為は往々にして、周りに同調するものになっていきます。

 

成果を出す人は、空気は当たり前に読めるのですが、同時に、同僚や上司などの周りに迷惑がかからないレベルで、空気を読まない事を実践するように心掛けています。

 

そもそも、「空気を読む」事は、歴史を紐解いてみると、構造的、物理的に仕方なくやっている面があります。

 

人類は元々、ジャングルで生活をしていました。

 

ジャングルでは、木の実などを拾って食べて生活していました。

 

比較的安全でしたし、食べ物もすぐに簡単に手に入っていました。

 

ただ、気候変動があって、ジャングルが減り、人類はサバンナに出なくてはいけなくなりました。

 

サバンナでは自分よりも強い生き物を倒して、自分の食糧としないといけませんし、自分の身を守らなければいけません。

 

1人で行動する事が、外的から身を守る事、食べ物を獲る事のどちらかの軸から考えても合理的ではなくなったわけです。

 

そこで集団を形成するようになったと言われています。

 

集団で動く事によって身を守り、食べ物を獲りやすくなったわけです。

 

ただ一方で円滑に集団を維持するために、社会脳が生まれ育ったと言われています。

 

社会のこそ、まさに「空気を読む」事です。

 

当時の世界観からすれば、生き残るために空気を読む事が合理的だったのです。

 

社会脳的な前提は、今現在も、ほぼすべての社会システム・組織・対人関係などの中で当たり前として君臨しています。

 

特に日本は、社会脳的なものが重視されており、結果として、金太郎飴的な同質的な人が良しとされる社会が未だ根強く残っています。

 

つまり、空気を読む事は、集団維持のための手段だったわけですが、現在のように、グローバル化、SNS化が進み、集団から個の時代へと完全に前提やルールが変わっている中にあっては、「空気を読まない」事の大切さが相対的に際立っています。

 

ジャングルからサバンナへの移行時に生まれた「空気を読む」という社会脳が少しずつ役割を終えつつあるのです。

 

新しい時代への移行に合わせて、新しいマインドセットの移行をしなくてはいけません。

 

ただ、大多数はまだまだ空気を読む事を重視しているので、その中で「空気を読めない」事ばかりやってしまうと、実質的に居場所がなくなってしまい、仕事がしにくくなると思います。

 

重要なのは、「空気を読む事」と「空気を読まない事」のバランスです。

 

空気を読みながら、つまり、周りとうまくやりつつ、合間、合間で空気を読まない=明らかな真実やオリジナリティ、存在感を発揮していく事が大切になります。

 

圧倒的な成果を出す人は、空気を読みながら、空気を読まない事をやって、成果に繋げています。

 

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