他人の評価

 

多くの人は挫折や敗北を通じて、「自分より上がいる」「自分の努力では及ばない」「自分にはこの方面の才能がない」などと現実を受け入れます。

 

それはポジティブな意味で「諦める」という事です。

 

要するに、様々な事を諦めているから社会に適応し、情緒的にも安定していくわけです。

 

諦めるとは自分の得意な事・不得意な事を明らかにしつつ、人生を前向きに切り開いていく事にほかなりません。

 

つまり、自分が勝てない(才能がない)分野はすっぱり諦め、勝てる分野を見つけて取り組む事です。

 

ただしその決断が時として無謀なチャレンジになったり、先入観で食わず嫌いになる事もありますが、諦める事は一般的に自分の才能を活かす事につながります。

 

逆に自分が評価される事に執着し、評価されない事で不平不満に支配されれば、見栄を張るか他人を引きずり下ろすのに一生懸命となり、自分の才能を磨こうをいう発想へ向かいません。

 

という事は、自分の才能を見いだす事ができず、能力を発揮しないまま人生を終える事になります。

 

自分が「こうしたい」ではなく、「こう思われたい」という他人の評価だけを気にしているので、自分の為に何かをしようという意識が持てないのです。

 

実際、「自分はこれをやる」と燃えている時は、他人の事など眼中にないと思います。

 

意識は自分に向かっているので、目の前のやるべき事にフォーカスできます。

 

しかし、それができないと苦しい思いをするのです。

 

では、どうすれば自己評価を修正して自己愛をこじらせないようにできるのでしょうか?

これはなかなか難しい作業ですが、1つの方法は自分を評価する軸を複数持つ事です。

 

そもそも、「自分は自分でいい」「自分らしくあるかどうか」は、自己理想を起点に自分自身で評価するため、本来は外部の評価でそう簡単に揺らぐものではありません。

 

しかし、承認欲求と自己愛が強い人は、成功や幸せに関連する評価軸が少ないため、「自分もそれなりに頑張っているな」「結構幸せだな」といった実感を得にくく、自分への不満が他者への嫉妬や劣等感に向かいます。

 

自分の評価が高ければ、無条件に他人に憧れる事もありません。

 

自分の評価が低いから、他人が良く見える訳です。

 

特に若者ほど、人生の経験不足からこの評価軸が少ないゆえに、色々悩むわけです。

 

一方、自分を評価する軸が沢山あればあるほど、「この部分はできている」「ここはもう一歩」などと考えられるようになります。

 

そして「自分なんてダメだ」「なんであの人ばかり」といった極端な考え方をしにくくなります。

 

他人の評価は一面的で、必ずしも客観的ではありません。

 

なので自分を評価する軸を複数持ち、自分で自分を適切に評価する習慣をつける事です。

 

他人の評価というコントロールできない指標で自分を計測するのではなく、自分自身で計測する事ができれば、他人の評価に一喜一憂する事がなくなります。

 

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