この平和な日本でも、仕事を奪われ、健康を害される事があります。
新型コロナウイルスの感染拡大のように、降りかかってくる災害やどうしようもない理不尽に襲われる事もあると思います。
そんな時、「こんな社会はおかしい」と怒り、嘆くだけで終わるか。
それでも何とかしようと立ち上がるのかで今後の人生は大きく変わってくると思います。
コロナかで自粛社会になるのはコントロールできないと思いますが、その中でもどうすれば困らず快適に過ごせるかは自分でもある程度コントロールできると思います。
もし自分の身に降りかかった状況が自己責任でないとしたら、一体誰のせいなのか?
その誰かは何かしてくれるのか?
何もしてくれないと思います。
例えば、年金が減って老後の生活が破綻したら?
政府が悪いと怒りの声を上げるのか?
そうすれば貰える年金が増えるのでしょうか?
増えないと思います。
現代の日本では、私達はそれほど考えなくても、自分で決めずに生きていく事が可能です。
受験勉強では、親や学校の先生や塾の講師が「あなたの成績ならここが狙える」みたいな感じで、アドバイスをくれます。
就職してからも、どんな仕事をするのかは上司が決め、転勤や異動、昇進もすべて会社が決めます。
家と会社の往復だけでも毎月給料が振り込まれ、それでも何十年もやっていけます。
でももし会社が倒産したり、リストラを告げられたりしたらどうでしょうか?
今回、新型コロナウイルスへの不安をメディアが煽り立てた事で社会に萎縮の空気が広がり、多くの人が外食や旅行を控え、経済活動を停滞させています。
インフルエンザや肺炎などで命を落とす人の方が実際は多いので騒ぎ過ぎだと思いますが、その結果、企業の業績はダメージを受け、給与・賞与カット、早期退職募集、リストラ、雇い止め、内定取り消し、廃業、倒産などが加速しています。
これは確かに個人の責任ではありません。
だからといって、コロナのせいにしたり政府のせいにしたりしても、事態は何も好転しないと思います。
社会や世の中のせいにするのは簡単ですが、それは思考停止とイコールです。
なぜなら、「では自分はどうするか?」と考えが浮かばないからです。
「社会が悪い」「世の中を変えないといけない」というのは、何も考えてない人の逃げ口です。
社会が悪いとしても、その具体的な解決策や効果の測定が可能な打ち手が思い浮かばなければ、原因の掘り下げが浅すぎる、課題の設定が雑過ぎるという事です。
問題解決の場面に置いて、原因を「社会」という漠然としたものに設定すればどうなるのでしょうか?
たちまち思考停止し、根本的な解決から程遠くなるだけです。
「おかしい」と主張するだけでは、ただ川に向かって石を投げているのと同じで、それで川の流れが変わるわけではないのです。
同様に、「世の中は平等であるべきだ」と考えているから格差が気になって、腹が立つのだと思います。
経済格差、教育格差、医療格差、世代間格差など、不平不満が渦巻いています。
それではいつまで経っても「自分らしい生き方」は具体化しないし、常に誰かに振り回され続ける軸のない人生になってしまいます。
なのでそんなもののせいにしない。
まずは自ら変わる、自ら行動する。
納得感の高い人生にするには「世の中はそもそも理不尽である」という前提の元、自己責任意識を持つ事が重要だと考えています。
理不尽さを嘆いても何も変わりません。
んらば理不尽を受け入れた方が、自分ができる事、やるべき事にフォーカスできます。
すると、不平不満など感じなくなります。
新型コロナウイルスの問題でも、こういう状況になったのは仕方がないと考え、誰かのせいにするのをあきらめてこそ、「では自分はどうするか?」に意識が向かうというものです。