皆さんは、「友達の良さ」は何だと思いますか?
【相談できる?】
その友達というのは、自分の抱える問題を解決できるほどの専門的な知見を持ち合わせているでしょうか?
法律なら弁護士、税金なら税理士にお金を払って相談すべき事で、友達ではない事がほとんどだと思います。
仮に専門家の友達がいたとしても、いつもタダで教えてもらおうとしていてはやがて離れていくと思います。
【話し相手になってもらえる?愚痴を聞いてもらえる?】
しかし、自分の不満やストレスを自分で消化できないとしたら、その人が成長していない可能性を疑った方がいいと思います。
心の成長とは、さまざまな経験を通して、それに伴う感情すら自分の内部に受け入れて理解・納得し、今度の課題として整理できるようになる事です。
つまり、他人に吐き出さないとスッキリできない人、話し相手がいないと寂しいといった人は心が未熟であるという事です。
成熟した大人程愚痴話のできる友達は必要としないものです。
【高め合える?】
それは切磋琢磨し合える仲間という事ですから、友達ではなくむしろ同僚や同業他者ではないでしょうか?
勝敗や記録で優劣を競う分野は別ですが、「あいつ頑張っているのだから、自分も頑張ろう」と考えるのは、「他人と比べないと必要な努力もできないのかな?」と不自然な印象を受けます。
【助け合える?】
それは困った時にお金を貸してもらえますか?
仕事を発注してくれますか?
泊めてもらえますか?
奢ってもらえますか?
そんな自己中心的な話はないと思います。
見返りを求める関係が、本当に友達を呼べるのでしょうか?
自分から支援はしても見返りは求めず、相手から求められない限りは自分の都合で干渉せず、緩やかな連帯を構築・維持できる関係が友達なのではないかと考えています。
そう考えれば、自分が相手の事を「家族や取引先とは違う意味で大切な人」と認識していればいいだけの話です。
友達とか親友という定義に当てはめる必要はないし、自分が大切に思える人がいないなら、ただそれだけの事です。
仮に大切に思える人が実際に居ないとしても困る事はありません。
仕事にも日常生活にも何ら影響は出ないと思います。
「友達は大切だ」「友達は多い方がいい」「友達はいない人は人間として問題がある」などという固定概念に囚われる必要はないのです。
「友達がいないと寂しい」というのは精神的な未熟な人なので、むしろ孤独な時間の中で自分と対話し、心を鍛える事にエネルギーを注いだ方がいいと思います。
友達が少ない、いない事のメリットは「自由」だという事を忘れないで下さい。