居場所

 

「居場所のなさ」を考える上で、「繋がり」は大切なキーワードです。

 

周りの人との繋がりを感じられないので、「居場所がない」と感じるからです。

 

つまらないパーティーで楽しそうなふりをして輪の中に入る事や、興味のない話題だけれど興味があるような顔をして聞いている事など、すべては「繋がり」があるかのような「形」を示すため、と言えると思います。

 

「あの人、浮いている」と思われたくないのです。

 

しかし、そんな「繋がっているかのような形」をつくる事が「居場所のなさ」を解消するのでしょうか?

 

「形の繋がり」をつくることには、多くの人が汲々としている事だと思います。

 

「自分が人から好かれる」事を示したくて、一生懸命になってしまうのです。

 

しかし、結果はパッとしなかったり、わざとらしくなってしまったり、疲れたり燃え尽きてしまったり、「自分なんかどうせ無理だ」という自己不全感に達してしまっているのではないでしょうか?

 

「居場所のなさ」は更に強く感じられるかもしれません。

 

そんな状況で、誰かが不愉快そうな顔をしたら、「ああ、やっぱり自分はなじんでいないのだ」と思うのも仕方がないと思います。

 

一生懸命繋がろうとしても、所詮それが「形だけの繋がり」であれば、「居場所」感は得られません。

 

ありのまま(他人の目を意識して変えたりしない本来の姿」の自分は置き去りになっており、精神的な「居場所のなさ」、自己否定感は更に強まると思うのです。

 

「生きづらさ」を感じる人も多いと思います。

 

こうして考えてみると、「居場所のなさ」は、「繋がり」を全く感じられない時だけでなく、「形の繋がり」に振り回されている時(ありのままに反して「形の繋がり」を持とうとしている時。「形の繋がり」に目が眩んで自分の心のやすらぎが見えない時)にも感じるという事がわかります。

 

「居場所のなさ」は、「本当の繋がり」「自己受容」など、かなり重要なものと関連しています。

 

人間としての自分の尊厳にも関わる事なのです。

 

「自己受容」とは、それこそありのままの自分を否定する事無く「自分」として感じる気持ちの事です。

 

「私はこんなに器の小さい人間ではない」「私は誰にでも優しくできるはずで、あの人の事を悪くなんて思っていない」など、ありのままの自分に、心のお化粧をしてしまうような事はよくあると思います。

 

あたかも、お化粧をしないと人間として受け入れられないような気持ちです。

 

「自己受容」とは、すっぴんの心の自分を、「これが今の私だ。改善したい事はあるけれども、色々な事情を経た今の自分は、これがありのままなのだ」と認める事です。

 

「居場所」のキーワードは、「自己受容」。

 

つまりあくまでも自分の内的なものに行き着きます。

 

「自分は繕わなくて良いのだ」という安心した自己受容が、「居場所」をつくると言えるのです。

 

「自己受容」は、「居場所」を感じる鍵になるという事を覚えておいて下さい。

 

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