話を聴くとき

 

私達は、人の話を聴く時に、相手の話だけを聴いているわけではありません。

 

ほとんどの場合、自分の思考をもとに聴いています。

 

「居場所がない」と感じる時は、「私はこんなところに居て良いのだろうか」という思考を聴いているのかも知れません。

 

あるいは、「なんで私みたいな人間がここにいるのかと、みんながいぶかしく思っているかもしれない」「皆、なんでこんな事が楽しいのだろうか」「皆の話が全然分からない。どうしたらいいの?この後どういうコメントをしたら気が利くと思われるのだろうか」などという思考かもしれません。

 

本来の話よりも、そちらの思考の音量の方が大きくなってしまうと、「居場所がない」と強く思うようになります。

 

そこで、自分の思考を「脇に置く」のです。

 

「脇に置く」というのは、その思考に入り込んでもいかず、思考そのものにも評価を下さず、ただひょいと脇に置く感じです。

 

それからもう一度、話し手の現在に集中し直すのです。

 

何が「聞き上手」か、と言えば、それこそ相手に「居場所」を与える事の出来る聴き方。

 

ありのままの相手を、評価を下さずに聴き、「安全」を提供する事です。

 

「安全」を提供する、ということは、ありのままの相手と共にいる、変えようとしない、という事です。

 

「いろいろな事情があるんだな」というような感覚で話を聴けば、余計な評価を下さずに聴けます。

 

それは相手に「居場所」を提供すると同時に、そのような姿勢で人の話を聴いている時は、自分も「居場所のなさ」から解放されるのです。

 

なぜかというと、人の話を聴いている時に下す評価というのは、「こんな話、私が聴いて良いのだろうか」「この後なんとコメントしたら良いか分からない。困った」などというものだからです。

 

いずれ相手と距離をとるもので、ありのままを受け入れてほしい話し手にとっては安全に的外れなものなのです。

 

相手の話を本当に聞く事ができれば、黙ってそこに居ても温かさが感じられるし、「そっか」程度の受け答えでも、話し手は救われるのです。

 

なぜかと言えば、アドバイス性の高いコメントというのは明らかな上下関係(聴き手が上手)から出てくるものなのですが、「そっか」程度のコメントは、まさに対等な温かい言葉だからです。

 

つまり、大切な事は自分の思考は脇において、相手のありのままの話を聴く事なのです。

 

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