プロから厳しい事を言われるのは、教わる側としては辛い事です。
その辛さから逃避しようとして、「あの人はあれは、いいんですか」と言ってしまいがちです。
「これができない人が沢山いますが、どうしたらいいんでしょうか」という聴き方をしがちです。
他の人の事を挙げて、自分を見つめる辛い現実から話をそらそうとするのです。
これをする事で、その場の辛さは回避できますが、自分の成長には繋がりません。
一流の人は、どこまで行っても、「私はどうすればいいのか」と聞きます。
「私はどこがいけないのか」
「私は何を改善したらいいか」
「私はどうすべきなのか」
と、「私」について聴きます。
辛くても、自分の事から逃げないのです。
質問をする時は、自分の事について聞く事です。
他の人が気になり始めるのは、自分の事から逃げようとしているのです。
人間には、①プロ、②プロの凄みが分かる人、③プロの凄みが分からない人の3種類います。
いきなりプロにならなくてもいいのです。
スタート当初は、プロの凄さは分かりません。
そこから始まって、まずはプロの凄みが分かる人を目指します。
プロの凄さが分かれば、素直に教わる事ができます。
半人前の人は、つい「自分はプロとそれほど違わない」と思いがちです。
そうなると、「ホントかね」とか「これはこれでいいんだろうか」と雑念がわいて、プロの話を素直に聞こうという気持ちがなくなります。
一歩間違うと、教えてくれるプロと張り合おうとしてしまいます。
半人前のプロとの距離は、上から下は測れますが、下から上は分からないのです。
習い事にチャレンジする人は、「すぐに先生のようになれるだろう」というのが始める動機です。
しばらく習っていると、「これは遠いぞ」と分かってきます。
ここでワンステップ上がったのです。
「教わる」事の1番大きな意味は、プロの凄さにリスペクトを持てるようになる事です。
「教わらない」事の危険は、プロをなめてかかる事です。
「資格を取ったのに食べていけない。すぐに稼げると思っていたのに仕事の依頼が来ない」という人がいると思います。
しかし、その資格はたがだか3か月ぐらいで取った資格だったら、そんなもので一生食べていける訳がありません。
「その資格で食べている人がいる」という反論が出ますが、その人は10年も20年もかけて、その道を修行している人です。
食べていく事に対して、なめてはいけないのです。