二流は、「色々教わると、考える事が多くなって、面倒くさい」と言います。
「あれもしなくちゃいけない、これはしていけないと、色々教わって、自分が不自由になるから教わりたくない」
「頭がこんがらがる」
「色々な本を読んで、色々な人が、色々な事を言うと、どれが本当か分からないので、自分が動きにくくなる」と、思うのは間違いないです。
色々な事を教われば教わるほど、学べば学ぶほど自由度は増します。
勉強や仕事をする事によって、自分の選択肢が増えるのです。
「ここまでしてもOKなんだ」「こんな事もできるんだ」と、知っていく事が「教わる」という事です。
教わりながら自由になっていきます。
「もっと自由に生きたいんです。だから、誰からも教わりません」と言うのは、逆に自分を不自由にしているのです。
二流は、急いで「早く教えてくれ」と言います。
一流は、まず自分が教わりたい事の教わり方から学びます。
まずベースとなる基本OSを入れておかないと、その上にソフトは載りません。
OSがないところにソフトを入れようとしたり、土台がないところにいきなり壁を立て始めようとするのが、教わり方を学ばないという事です。
これまで何か1つでも習い事をしてきた人は、教わり方が身についています
ちゃんとした先生に巡り合っている人、厳しく教わり方を指導された人は、教わり方が身についています。
本来、教わり方は、学校に上がる前、または小学校時代にきちんと身につけるものです。
その時に、幸か不幸か、厳しい教わり方の体験をスルーしてしまった人たちが、そのまま大人になって会社に入ってくるのです。
この人たちは、教わり方を教わっていません。
その為、上司に何か言われた時に、教わり方がわからないのです。
教わる時のマナーやリスペクトは、習い事をすると身につきます。
習い事は、教わり方を身につけているのです。
それを教わっていない人は、今から小学校時代に戻る事はできないので、会社に入った機会に教わり方を教わる事が大切です。
「この人は、小学校時代に教わり方を教わらないで、大人になってしまった人だな」という事が一発で分かります。
教わり方を教わっていない人は、どんな習い事に行っても、どんなに良い先生に出会っても駄目です。
「早く教えてくれ」と言います。
そういう人は、教えてもらう前に、教わり方を教わる必要があるのです。