教え方が下手

 

二流は、「教えてもらって当たり前、上司は教えるのが仕事でしょう」と思っているので、それほど感謝の気持ちはありません。

 

「ちゃんと教えろ、あなたは教え方が下手だ」

 

「『3つ褒めて1つけなす』と本に書いてあるじゃないですか、最後にもう1回褒めてまとめなさいよ」

 

と言う人は、褒めてもらうのが当たり前というお客様意識でいるのです。

 

会社の中でも、自分は成長する生産者ではなくお客様という意識でいる人は、「教わっていません」「それ、聞いてないです」と言います。

 

聞いていないではなくて、聞きに来ていないのが現実です。

 

「教わっていないから仕方がない。できなくて当然」は、当たり前の発想です。

 

人に教える義務は1つもないのです。

 

教わる権利もありません。

 

教えてもらえるという事は、奇跡なのです。

 

そう考えると、1回教えてもらえる事に対して、これほどありがたい感謝はありません。

 

その人に巡り合って、その人の人生から出てきた言葉を頂く。

 

その人が試行錯誤を重ねて、多くの時間と労力と、お金をかけて学んできた事を絞り出して何かを教えてくれているのです。

 

物をもらうというより、その人の命、魂をもらうのと同じです。

 

教わるという事は、お金をもらう事より、はるかにありがたい事をしてもらっているのです。

 

これほど奇跡的な事はありません。

 

「当たり前」とは、いつでもだれでもしてもらえる事です。

 

過去もずっとあり、このまま未来永劫続きます。

 

「奇跡」とは、いつでも誰でもしてもらえない、珍しい事です。

 

過去にはなく、未来にも二度とありません。

 

教えてもらうチャンスは、もう二度とこの人に教えてもらえる機会はない、という貴重です。

 

神様がプロや上司の形をして表れて、自分に有効なアドバイスをしてくれているのです。

 

そのアドバイスは今必要な事ではありません。

 

未来の不具合、成長した自分に対して発生する不具合を前もって教えてくれているのです。

 

そう考えると、今教えてくれている事を大切に聞く事ができます。

 

今の不具合が解決する事なんていらないのです。

 

今は不具合を感じていないからです。

 

上司が教えてくれる事の多くは、「これを教わっておかないと、将来、辛い事になるぞ」という事です。

 

その為、今は意味が分かりません。

 

今、意味が分からなくてもいいのです。

 

そのうち分かります。

 

成長したら不具合を感じる事を、今教わるのです。

 

「自分は、教えてくれなくていい。なんで教わらなくちゃいけないの?」と言う人は、今のレベルで満足し、そのまま一生が終わって死んでもいいと思っているのです。

 

そういう人は、なにも教わらなくていいし、教わらなければならない事もありません。

 

ただし、しんどくても教わらないと、今の状態からは抜け出せません。

 

今の状態を抜け出すために表れて教えてくれたのが、上司であり、プロであるという奇跡的な事が起こっているのです。

 

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