「社会になって自立する」という表現は、通常は就職した時に使います。
サラリーマンでも、「よし、社長を食べさせてやろう」という能動的な意識が芽生える人と、「社長に食べさせてもらおう」という受け身の意識が芽生える人とに分かれます。
就職したからといって、自立しているわけではありません。
今まで親にしてもらっていた事を、会社に入って上司や社長にしてもらおうと頼っていく人もいます。
会社を家と勘違いするのは、甘えです。
そういう人は、常に「いつ親に捨てられるか」という不安を持ちます。
この不安のベースは、会社に対してリスペクトがない事です。
親に対してリスペクトのある人は、不安を持たないのです。
能動と受け身との決定的な違いは、リスペクトがあるかないかです。
会社には、仕事を教えてもらって、面倒も色々見てもらっています。
それに対して「ありがたいな。お返ししないと」という気持ちがリスペクトです。
本当は、会社に入る前に、親に対しても持っておかなければならない気持ちです。
親にリスペクトのない人間は、親離れしないまま会社に入ってしまうのです。
親子といえども、別人です。
それなのに、いつも優しくしてもらっています。
家賃も水道光熱費も全部払ってもらっています。
食べさせてもらって、病気になったら病院に連れて行ってもらえます。
それに対して「申し訳なかったな。恩返ししないと」という気持ちを抱いている子供は自立しています。
「親ならやってくれるのが当たり前だろう。クソババア」と言っている人は、自立できていません。
「クソババア」と言っていた子供は、やがて会社に入って「クソ上司」と言うようになります。
リスペクトがないのが子供です。
甘えであり、自立できていないのです。
このまま定年を迎える人もいます。
会社を辞めると国を親かわりにして、「クソ政府」と国の悪口を言うのです。
「上司はなんで俺の事を分かってくれないんだ」と言うのは、「親なんで自分の事を分かってくれないんだ」と言っているのと同じです。
子供の時点で、「親も大変だよね」と言える子供もいます。
未成年だろうが社会人だろうが、甘えている人は子供です。
大人と子供の1番大きな違いは、相手に対してリスペクトがあるかないかです。
親に対してリスペクトのない人は、会社に入って子供のままです。
上司と親の区別もついていません。
リスペクトのない人は、親を上司に置き換えているだけなのです。