「独断力」というと、どこかしら世間ズレしていて「客観性を欠く」という印象を受けるかもしれません。
しかしここでいう独断力は、「過信」や「独善」や「認知のゆがみ」を排除し、できる限り客観的に物事を見て判断する力です。
そしてこれを独力で成し遂げるという、知的能力です。
それには、自己をより理解し、自己の幸福への在り方を認識し、それが他人と違っても揺るがない知的体力を持つ事です。
そしてそれが過信や独善に陥らず、認知のゆがみがあれば気付いて即座に強制できる力が必要です。
とはいえ、実際には、ほとんどの人が「自分は他人より客観的に見る力がある」というふうに、自分の客観能力を平均以上だと過信しがちです。
他にも、「自分は平均より車の運転がうまい」と答える人は7割以上といわれる事がよくあるように、人間は自分の能力を実際より大きく見積もってしまう傾向がある事が分かっています。
これは有名な「ダニング・クルーガー効果」というもので、要約すると、
底辺グループと最優秀グループでは、自己認知能力に差がある。
能力の低い人は自分のレベルを正しく評価できない。
能力の低い人は他人のスキルも正しく評価できない。
能力の低い人は自分を過大評価する傾向がある。
という調査結果の事です。
つまり「自分は平均より上」と考える時点ですでに自分が底辺グループだと証明しているようなもの、というわけです。
確かに、自分のプロフィール写真やファッションなどは、他人の意見の方がより客観的で適切な事が多いのは事実です。
自分好みと、他人からどう見えるかは全く異なりますし、自分の声を録音して聞くと全く別人の声に聞こえるように、周囲に与える印象という面では、自分では客観的に見る事ができないのは納得できます。
しかし判断もそうでしょうか?
判断は「他人からの見え方・移り方」とは違い、「自分が能動的に関わる」意思決定です。
誰から見ても常に客観的な状態や判断があるわけではなく、自分の価値観や性格によって、客観的な否かは異なるはずです。
例えばいくら他人から「あなたはパンツスタイルよりフレアスカートの方が似合うよ」と言われたとしても、フレアスカートは恥ずかしい、パンツの方が堂々と街を歩ける、という事になれば、いくら客観的なアドバイスでも、適切とは言えないと思います。
生産性を優先させるかはすべて自分次第なのです。