未経験の事を実行する際、私達は過去に経験した事の範囲だけで物事を判断しようとしがちです。
人間の学習システムは過去から学ぶようにデザインされているので、これは自然な事です。
だいたい、自分が知らない事に挑戦する事は、感情的に心地よくありません。
特にビジネスでは、失敗したら金銭的な損失が出たり、責任を問われたりするリスクもあります。
だからこそ、完璧な予測などできないと分かっていても、人間は成功するかを「経験」から占いたくなるのです。
誰かと新しいアイデアについて話していても「で、それをどうやって実現するの?」という部分が気になるのが人情です。
アイデアが実現可能かを尋ねる事が、まるで「大人の対応」であるかのような風潮さえあります。
しかし、「現時点でアイデアの実現方法を知らない」と「そのアイデアを実現できる」は本質的には関係ありません。
アイデアは現時点で実現していないからこそ、アイデアとしての価値があります。
アイデアを思い付いた時、それを実現する方法を知っている必要などないのです。
分からなかったとしたら、見つければ良いのです。
そもそも私達は、予定調和な世界に慣れ過ぎています。
朝は何時に会社に行き、何時からミーティングをして、だいたい何時くらいに帰宅するといった生活をしていると「全ては自分たちでコントロールできる」と感じるようになってしまいます。
初対面でのやり取りもおおまかな流れが決まっていて、人々はそれに従っています。
特に日本人は、時間通りに物事が始まる事にこだわりを持っています。
1分程度の電車の遅れでも謝罪のアナウンスが入ったりします。
「何でも予定をきっちり立てる事ができて当然」「先行きが分からないのはいい加減な事」という認識が日常的に強化されていると言えます。
しかし、最初から完璧に分かる事などこの世には存在しません。
むしろ確実・完璧なことがあったら、それこそ疑わなければなりません。
無意識的に「予定通りに進んだ方が良い」と考えてしまっているのが問題なのです。
この世には完璧に分かる事など存在しないのですから、アイデアなんて「面白い事を思いついたんだけど、実現方法がまだ分からないんだよね」くらいで十分だと思います。
というより、それが当たり前です。
「そんなんじゃ社会では通用しないよ」という声が聞こえてきそうですが、私達は既にそういう世界で生きているのです。
実際、「何もかもが予定調和に終わる」という考え方は前時代的なものになっています。
私達日本人は、東日本大震災でその事を実感したはずです。
原発事故など、どんな事でも起きうる可能性がある事を、多くの人は身を以て知ったはずです。
だから、私達「知っている事しか知らない」という事を再認識しなければなりません。
思い浮かんだアイデアの実現方法を知らなかったとしても、大した問題ではありません。
実現方法を認識できるようになれば良いからです。
ここで実現方法を「学ぶ」「生み出す」といった言葉ではなく、「認識する」と表現しているのには理由があります。
例えば、多くの人がお金を稼ぐ方法をお金持ちや成功者から学ぼうとします。
しかし、石炭や石油と違い、お金が枯渇することは有り得ません。
お金は人間が勝手に作り出したコンセプト(概念)だからです。
お金は必死に獲得したり、溜め込んだりする必要がありません。
ただ必要に応じて、必要な量を調達する方法を「認識」できるようになれば良いのです。
同様に、私達に必要なアイデアを実現する方法を知っている事ではありません。
実現する方法を認識できるようになる事なのです。