1 夢は叶うものである
2 夢は叶わないから夢なのだ
皆さんは「夢」を、このどちらに定義づけていますか?
人は、心の中にあるものの見方の基準(あなたが持っている価値観)で、どちらからものごとを見るかを無意識のうちに決めてしまいます。
例えば、あなたが今東京・新宿にいて、通りすがりの人から、
「すみません、10分で横浜に行きたいのですが」と聞かれたら、
「え?10分ではとても無理ですよ。湘南新宿ラインに乗っても、渋谷周りだと・・・」と答えると思います。
しかし、ぐったりとして息も絶え絶えに見える幼い子どもを抱えた母親に、
「この子の命が危ないんです。10分で横浜に着く方法を教えて下さい」と言われたらどうでしょうか?
ヘリコプターを連想するに違いありません。
この違いは何でしょうか?
前者では、あなたは瞬間的に「できない」という発想をしました。
その結果、無意識に電車や車を連想し、出来ない理由を並べるのです。
後者では、あなたは「できるとしたら」という発想をしました。
その結果、ヘリコプターという、できる理由を探したのです。
脳は「できない」と思ったら出来ない理由を、「できる」と思ったらできる理由を瞬時にして並べる事の出来る高性能なコンピューターです。
素晴らしい南の島の映像を見て、「こんなところに行ける人はいいなあ」という感想で終わる人もいれば、「この場所はどこなんだろう?行ってみようよ」と言って、すぐに調べて行こうとする人もいます。
例えば、こんな話があります。
サーカスの象を調教する時には、仔象の時点で杭につないで不自由を味わわせ、「足に鎖をはめられると逃げられなくなる」とが学習させ、洗脳するという話です。
人間には逆らえないと思いこませ、サーカスで人間の言う事を聞く象に仕立てる為です。
これを「面白い話だなあ」などと他人事で聞いてはいけません。
実はあなたも、現実社会で調教されているのかも知れないのです。
思い出してみて下さい。
あなたは小さい頃、大人から「大きくなったら何になりたい?」と聞かれた事があると思います。
何と答えたかは別として、そのまま目標を達成した人、ほとんどいないのではないでしょうか?
サッカー選手になるはずが、中学に入ると自分より能力のある人が沢山いて、レギュラーから外された。
医者になるはずが、受験で失敗して医学部には行けなかった。
宇宙飛行士に憧れたけれど、倍率を聞いてとても無理だと諦めてしまった・・・。
こんな風に多くの人が、大なり小なりの挫折や目標の変更、修正を繰り返して大人になると思います。
いずれ、大半の方が会社に勤め、安心と引き換えに、月末の給料と土日祝日の休みという「枠」を渡されます。
この「枠」は、あなたに色々な物を与えます。
「不自由」もその1つかもしれません。
不自由の中で、「やりくり」という名の「枠」にとらわれ、次第に環境に順応していきます。
そして徐々に、ごく自然にやりくりできている自分に気づき、そのうちやりくりしているという事すら意識しなくなっていきます。
これはこれで、人間にとって大切な能力だと思います。
昔、人間は二足歩行になり、自由になった手を使う事で急速に脳を進化させ、文化を発展させました。
否や武器を使い、他の動物より格段に有利になりました。
しかし一方で、それと同時にさしあたって必要のない嗅覚や聴覚が、他の動物より衰えてしまったと言われています。
こんなふうに太古の昔から、人間の進化は、何かを手に入れる代わりに何かを手放すという事の繰り返しだったのです。
もしこれが本当だとしたら、人はやりくりのうまさを手に入れる事で、一体、何を犠牲にしたのでしょうか?
それは「夢を見る能力」です。
夢を見る能力など、命には関係ないからです。
夢を見るより、さしあたって生きていくために自分の時間や身体、そして心を使った方が、生産効率やエネルギーのパフォーマンスが良いからだと思います。
自分の可能性を信じ、夢の為に自分の能力を開発する事を考えるより、給料日までの日数で生活費をどう切り詰めるかを考える方が現実的で楽だからです。