何かを学ぶという事は、自分の意見はいったん横に置いておく事です。
すべての事に自分なりの意見があって、自分の意見に合うかどうかで取捨選択していると、新しいものに出会えません。
学ぶというのは、「新しい自分」「新しい正解」を入れる事です。
例えば、上司から部下に教える事がありました。
その時に、部下から「隣の部の上司はこういう事を言っていたんですけど、どちらが正しいんですか」と言われると、上司は教えたくなくなります。
それを聞く人は、いい加減な人や嫌な人ではなく、真面目なタイプです。
常に正解を知っている小学校の優等生です。
ただし、その正解は1つしかありません。
1つの正解以外は間違いというのが、小学校の優等生が知っている正解です。
ところが、社会には正解が無数にあるのです。
占い師さんにみてもらって、「この間、別の占い師さんに聞いたら、こう言われたんですけど、今、先生が言っているのとどちらが正しいんですか」と聞く人がいるとします。
この質問に対して、一流の占い師さんは「そちらの先生の方が正しいです」と答えます。
「そんな事を聞く人は、もう来なくていい」という事です。
理由は簡単です。
「占い師のAさんはこう言いました。Bさんはこう言いました。どっちが正解ですか」と、更に3人目の占い師さんに聞きに行く人なのです。
これは、習い方としては間違いです。
占い師さんは真剣にアドバイスしようと思っているのに、こういう質問をする人には、ちゃんとアドバイスしてあげようとは思わなくなると思います。
よく「面白い事をしたい」という人がいます。
単に自分を肯定してくれるものを「面白い」というのでは学べません。
自分が知らなかったり、そんな風に考えないという、自分と反対の意見を吸収する事によって、自分の世界は広げられます。
本を読むのは、自分の世界を広げるためです。
好きなジャンルの本や自分と同じ意見の本だけを読んでいても、意見は広がりません。
TVコメンテーターは、反論の電話がかかってくるかもしれない別の切り口の観方をいうのが役割です。
世の中が1つの正論にまとまろうとしている時に、ありきたりの論や、ちまたの声と同じ事を言っても仕方がありません。
世の中には色々な考え方があると気付く事が、この多様性の時代を生きていく世の中では大切です。
コメンテーターは偏った意見を言う必要があるのです。
上司も同じです。
部下は、偏った色々な意見を聞く事によって、自分の世界を広げる。
「そんな考え方もあるんだ」「あんな考え方もあるんだ」と、自分の中に多様性を持ちます。
自分と同じような正論だけを聞いていくと、逆にバランスが取れなくなるのです。