孤独を不安に感じる自分を恥じる事はありません。
単に、慣れていないから不安に感じるだけなのです。
日本は明治以来、「富国強兵」の名のもとに、国家による統制を強めてきました。
要は、統治に都合がいいように、管理もしやすい制度をつくり、どの制度に従順な国民と軍隊を育ててきたのです。
日本列島の地図を見て下さい。
3000キロメートルに渡る東西南北津々浦々、地域ごとに特色のある多様な文化が、かつてこの島国には息づいていました。
それを1つにまとめる事で富国強兵を達成しようと、中央政権が力を持ち、現代に至るまで、管理しやすい国民を量産してきたのです。
長い時間をかけて何代にもわたり染み付いた‘‘守られ癖”は、なかなか抜けないと思います。
けれど、皆が皆、「管理されて、嬉しい」なんて思っている訳がありません。
本当は無理をして自分を納得させて、管理を受け入れてきた人も多いと思います。
では、なぜ納得できたのでしょうか?
そこに経済合理性があったからです。
完璧に管理され、一分の誤差もなく大量生産を繰り返し、規格を守る。
そして、良い物を安く売る。
そんな弱者の戦法によって、日本人は焼け野原から再興し高層ビルの街並みへと発展していったのです。
たった20数年で世界第2位の経済大国にまで成り上がったのです。
これは強烈な成功体験だったのです。
ゆえに、これ以外の勝ち方を運ぶ事すらしてこなかったのです。
この150年間、日本人は経済的成功のため、明日の豊かさの為に、本来は自分の心の中にあったはずの素直な欲求や願いをしまい込み、「我慢こそ美徳だ」と集団の一部として染まる事を称賛してきたのです。
しかしながら、時代は変わりました。
これからは、1人1人の「個」の完成から価値を生み出す時代です。
自分の「個」、相手の「個」を同等に尊重し合う時代です。
「個」を押し殺して、1枚岩でただただ大きくなっても、右肩上がりの成長は決して長続きしないと、誰もがうすうす気づいているはずです。
ようやく、心に問う時代が来ました。
自分の求める成功とは何か。
本当に掴みたい幸せは何か。
静かに見つめ直し、明確に自分の「個」を示していく。
そこに勝ち負けはないと思います。
穏やかに、優しく行動を起こせばいいのです。