孤独が惨め

 

「孤独先」という言葉に象徴されるように、日本では孤独は寂しいもの、悲惨なもの、いけないもののようにみなされています。

 

「便所飯」(トイレの個室で食事をする事)や「ランチメイト症候群」(学校や会社で一緒に食事をする人がいない事に恐怖を感じる事)などが話題になるのは、多くの人が1人で食事する事を恐れるからです。

 

もっと正確に言うと、恐れているのは、1人で食事をしているところを見られる事です。

 

自分の中に「孤独は惨め。1人は寂しい」という思い込みがあるため、「自分は周囲の人から寂しい人間だと思われているんじゃないか」という妄想に苦しんでいるのです。

 

孤独というのはただの状態であり、孤独そのものが惨めなのではありません。

 

「孤独は惨めだ」と思い込んでいる自分の固定観念が孤独である事を惨めにしています。

 

「人間は1人では生きていけない」といった主張に、多くの人は「そうだよね」と同調し、それ以上考える事をやめてしまいます。

 

しかし、いったん立ち止まって「それ本当なの?」と深く考えてみる必要があります。

 

特に、昔から言い古された格言、名言の中には、現代では通用しないものも多々あります。

 

にもかかわらず、「孤独は寂しい」「1人で生きられない」というのは、ただの思考停止ではないでしょうか?

 

確かに小さな赤ちゃんは1人では生きられません。

 

しかし大人になれば、1人で起きられますし、着替えもできます。

 

1人でお風呂も入れるし、食事もできると思います。

 

昔は、農作物が不作の時に近所で食料を融通し合う必要がありましたが、今ではスーパーやコンビニに行けば簡単に食べ物が手に入ります。

 

仕事は1人ではできないかもしれませんが、求められる成果さえ出せれば、他人と濃厚なつき合いをしなくても特に問題ないはずです。

 

あえて他人を攻撃しない限り、人間関係が険悪になる事はありません。

 

せいぜい飲み会に誘われないとか、会話の輪に入れないというだけです。

 

仮にそうなっても、生きていく分には何の支障もないと思います。

 

つまり、実際には1人でも生きていける訳で、孤独を恐れる必要はないのです。

 

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