話し方が影響するのは、その瞬間だけではありません。
話からはその人の無意識に入り込み、身体の一部になって、のちのち思考や行動も変えていくのです。
生活への影響で言うなら、話し方は人生観を形づくり、そして人生観は行動を変えます。
それを無視するのは危険だし、人生観なんてないと自分をごまかすのはもっと危険なのです。
「人生は不公平だ」と不平を言いながら生きている人は、その見方に沿った行動を取るようになり、やがては被害妄想を抱くのです。
ある研究によれば、そんな不平をよく言う人は仕事がおざなりになると言われています。
それは「頑張ったって意味がない」と最初から決めつけているからです。
不公平だという見方は、こうしてあっという間にその人の現実になっていくのです。
逆に、「成功はどこにでも転がっている」という見方の人は、仕事ん打ち込めるはもちろん、エネルギッシュで生き生きとした人生を送る事ができます。
もちろん、自分は成功できるという自信は、実際に成功するための(大切ではあるが)1つ要因でしかなく、成功への至る道は他にもあるのです。
しかし、成功への信念がなければ道のりは険しいものになります。
ローマ皇帝になったストア派の哲学者、マルクス・アウレリウスは、
「大切なのは、辛い時に『なんて不幸なんだ』と思うのではなく、『頑張る機会が得られて運がいい』と思うことだ」と言っています。
問題をどう捉え、どう表現するかは、すべて自分次第なのです。
それは足かせにもなれば、前へ進む為の踏み台にもなるのです。
人生を沈ませる事もあれば、浮かび上がらせる事もあるのです。
アウレリウス帝のようなストア派の哲学者は、外界の物事に影響される必要は全くないと考えていました。
自分にとっての現実は、自分の頭でつくり出す事ができると考えていたのです。
「痛いという気持ちを否定すれば、痛み自体もなくなる。」 マルクス・アウレリウス
この言葉をよく考えてみて下さい。
人生の在り方は、状況や事情ではなく、自分との対話の仕方によって決まってくるのです。
自分ならできる、あるいは自分にはできないという思考は、実際の状況よりも、自分の無意識の影響を強く受けているのです。
自分の外側ばかり見て苦境から抜け出そうともがいていても、待っているのは無力感や脱力感、倦怠感だけです。
よくても成功と失意、幸福と絶望を行ったり来たりする人生になります。
どうしようもない状況もあると思います。
行き詰まり、手が付けられない状況です。
今より幸せでよりよい人生を送れると思って、目標に向かって頑張っていたのに、結局は何も変わらないという事もあるかもしれない。
あるいは、いつかは輝かしい日が来るとしても、現在とその日までの間は苦しい日が続くかもしれない。
皆さんはこれをふまえてどうしますか?