私達は誰もが、自分自身について、そして、自分の人生において好ましくない部分を持っています。
しかし、そうした問題にどのように対処するかは、人それぞれです。
多くの人達は、「外的動機」と私が呼ぶものによって行動します。
あなたが元気のない落ち込んだ人々のグループに、次の質問をしたと想像して下さい。
「あなたはどうして不幸で、鬱状態になっているのですか?何が問題なのですか?」
4人のうち3人は、こう答えると思います。
「人々が私を怒らせたのです。彼らは私の気持ちを傷つけました」
「人をうっかり信用して、お金を預けました。彼らのせいで、うまくいきませんでした」
「私の両親とうまくいきませんでした。彼らが私を鬱病にしました」
このように、彼らは自分が今のようになった理由として「他人」や「自分ではどうする事も出来ない要因」を挙げると思います。
こうした思考回路の持ち主は、「不幸になった原因は、自分以外の人やものにある」と言って、それらを非難します。
そして、不幸な状況から逃れるために、自分の外側にある「何か」の助けを探さなければなりません。
多くの場合、その何かとは、アルコールです。
アメリカではおよそ1600万人がアルコール中毒です。
また、覚せい剤や性行為、時には買い物に溺れる人もいます。
お金儲けにふける人もいます。
彼らは気分が落ち込んだ時、気持ちを奮い立たせるために、自分の外にあるものに頼ろうとするのです。
多くの人間が「外的な要因」に突き動かされている一方で、「外的な要因」と「内的な動機」を併せ持っている人もいます。
彼らは、自分の中に「内なる導き」を持っています。
物事がうまくいかない時、彼らは心の中でその状況を招いたのは自分であると知っています。
しかし、どうしたら良いかは、はっきりとは分からないようです。
その為に、やはり身動きが取れない感覚になります。
戦争について考えてみて下さい。
戦争は「建設的でない怒り」と、「建設的でない怒りで反応する人々」によって起こります。
そして彼らは何年にもわたってそれを続けます。
私達は皆、テロリズムには反対です。
でも皮肉な事に、この世界に戦争やテロリストが存在する理由の1つは、多くの人々が「戦争に反対していない事」にあるのです。
次のような事を想像してみて下さい。
もし、テロリズムに反対している人が、エネルギーの方向を変えて、「私達は平和を望みます」という言葉を使い始めたらどうでしょうか?
もし、何百万人もの人が「テロリズム反対」ではなく、「平和のための活動」にエネルギーを注げば、私達は平和な世界をつくる事ができると思うのです。