何かを記憶すると、日々の生活の中でそれに近いものに触れた時に気づきやすくなります。
そうして、覚えた知識が増えていくにつれ、周りの世界がより解像度高く見えるようになるのです。
例えば、ロマネスコという野菜がある事を新しく覚えたとします。
そうすると、いつも行くスーパーでも実はロマネスコが販売されていた事に気づいたり、美味しそうなイタリアンレストランのメニューにロマネスコの文字を発見したりします。
それまで、同じように目にする機会はあったはずなのに気付かずに通り過ぎていたのが、ロマネスコという言葉を覚えてアンテナが立った事で、関連する情報をキャッチできるようになったというわけです。
このような変化は実体験として思い当たる事がある人も多いと思います。
記憶を増やすと、日常生活の中に記憶した事に関連するものが実は沢山あった事に気づきます。
これまで認識していなかった事を認識するようになる。
それはつまり、世界がより鮮明に見えるようになる事だと言っても過言ではありません。
別の例をあげます。
雪が多く降る地域では、雪を表現する言葉が細分化されていますが、雪が降らない地域ではそれがありません。
それと同じように、知識が増える事で世の中に対する知識の粒度が細かくなっていきます。
同じように思える事でも、細かく区別できて、違いが分かる事で、更に世界の事を詳しく知りたいという気持ちが湧くようになります。
記憶する事が苦にならならければ、娯楽の幅も広がります。
なぜなら、複雑なエンターテインメントも楽しめるようになるからです。
単純なところでは、歴史ものなどの登場人物が多い映画を楽しもうとした時、登場人物が覚えられないと「これって誰だっけ?」と、話の本筋とは違う所に気を取られて、純粋に楽しむ事ができません。
更に、同じ映画でも、描かれている内容の背景について詳しい知識を持っているかどうかで、映画の理解度や感じ方も違います。
映画や音楽といった文化についても同じ事が言えるのです。