いい人には「人から嫌われるのが死ぬほど怖い」「皆から好かれないと自分の価値はない」という思い込みがあります。
たしかに、自分にメリットがある人には嫌われないようにする必要があるかもしれませんが、周囲の人全員である必要はありません。
現実には、どんなに素晴らしい人、素敵な人だと思っても、万人に好かれる人は存在しないのです。
えてして「完璧すぎて嫌い」と思う人もいるものです。
著名人はなぜ著名人たりうるかというと、個性を表現しているからです。
例えば元ライブドア社長の堀江貴文氏、経済評論家の勝間和代氏なども、「彼ららしい」発言をしているからこそファンがつくのです。
しかし一方で、彼らの発言を嫌う人もいて、それがアンチになるわけです。
あるいは同じ発言をしても、人によって感じ方は異なります。
例えば、「あ~、今日も暑いね」と言った時、「本当だね」と共感を示してくれる人もいれば、「余計暑くなるから言わないでくれる?」と不快感を示す人もいます。
あるいは、北国の出身者であれば、「死んじゃうよ」と言うかも知れませんし、南国出身者であれば、「え?そうでもないよ」というかも知れません。
異性とのつき合い方でも、「どこか行きたいところはある?何が食べたい?」と聞いてくる男性の事を、「優しい。自分の事を思いやってくれている」と感じる女性もいれば、反対に「物足りない。もっとぐいぐい引っ張って欲しい」と感じる女性もいます。
そしてそれは時と場合によっても変わると思います。
こんな風に、誰からも嫌われない(好かれる)ようにするのがいかに困難か、いや不可能かがわかります。
先日お話しした色鉛筆の話の通り、人は結局「この色が好き」「この色は嫌い」というのと同じレベルで他人を評価しますから、色があれば好きな人も嫌いな人も現れるという事です。
逆に、周りに合わせて自分の主張をしないという事は無色透明ですから、嫌われない代わりに好かれもしません。
それどころか、存在を認めてもらえずスルーされるだけです。
だから、自分を嫌いな人がいるというのは、自分の意志で生きているという証拠なのです。