大切な人との関係を上手く守りたいからこそ、修正作業としての喧嘩は必要です。
それは絶対に喧嘩をしなければならないという事ではなく、もちろん喧嘩はなければないに越した事はありません。
しかし、それぞれ違う人間である以上、どうしても噛み合わない場面はでてくるものです。
家庭であっても基本は他人ですから、価値観も違えば性格も違います。
当然、相手に不満を覚える事もあるでしょうし、意見が対立する事もあると思います。
そんな他人同士が良好な関係を長く続けるためには、それらの違いや対立を認めたり解消したりする必要があります。
そして、私達は超能力者ではないのですから、言葉に出して伝えなければ相手には伝わりません。
そして伝わらなければ、相手の行動が変わる事もありませんから、永遠に不満を感じ続ける事になります。
あるいは、自分が耐えるために相手への感情を押し殺してしまえば、あきらめと無関心の関係にもなりかねません。
年配の人にありがちな「そのくらい汲めよ」「言わなくても分かるだろう」という不満は、相手がエスパーだと勘違いしている「脳内ファンタジー人間」か、自分の思い通りにやれという傲慢な人間のどちらかです。
相手の気持ちを読もうとする努力が不要という意味ではなく、相手に伝えようとする努力が重要だという事です。
それに喧嘩といっても、自分の不満や要求を強引に相手に押し付けたり、感情的になって相手をののしったりする事ではありません。
お互いがより良い関係を築くために、自分の不満や要望を伝え、双方の違いにどう折り合いをつけるか、どう修正できるかを相談する事です。
逆に、赤の他人との喧嘩は、そもそも分かり合おうという前提がありません。
良い関係を続けたいという相手でもないですから、「ふざけるな」「なんだと、このやろう」という罵声しか出てこないと思います。
これはコミュニケーションではなく、単なる争いです。
そうではなく、例えばお互いが感じた不満を共有し、譲るべきところは譲り、変えるべきところ、変えてもらいたいところを確認していく。
わだかまりを吐き出し、相手の感情を理解し、考え方を尊重する・・・。
それが相手の負担になる事であれば、「ここまでならできる、それ以上は無理」という落としどころを探り、お互いが納得できるところまで歩み寄る。
つまり大人の喧嘩とは、大事な相手との良い関係を長く続けていくための問題解決方法であり、必要な修正手段と言えるのです。