いい人は、常識人です。
人間関係に摩擦を起こさないよう、節度と良識を持って行動します。
だから非常識な事を避け、社会のルールを忠実に守ろうとします。
時には、そのルールがおかしいとか、自分に不利になる事があるとか、場合によっては、そのルールを破った方がいいといった事に思いが及びません。
そのため、態度は常に受け身です。
受け身であるがゆえに、物事を深く考える習慣がありません。
誰かがうまくやってくれる、自分はその誰かがつくったルールに従っていればよいという発想です。
いい人のほとんどは数字や物理が苦手で、論理的思考も苦手なのはこうした発想に起因します。
実際、複雑な事態に直面すると頭が真っ白になり、「わかんない」「もうどうでもいい」という反応をしがちです。
社会の常識に従順で、受け身で、論理的思考が苦手だからこそ、何か自分が困った時には他人のせいにし、自分に降りかかってきた問題を自分で解決する事ができません。
「こんな目に遭った」と自分の境遇を嘆き、何とかしてほしい、同情してほしいと願う割には、自分から「こうしよう」という考えがありません。
「ではこうやってみたら?」と振ると、「自分には無理」という反応をするのが典型的です。
「でも、どうせ、だって」という自己憐憫の3Dも彼らの得意なセリフです。
「もっとよく考えてみたら?」と振ると、「もういい」と逆ギレします。
論理的に説明しようとすると、「屁理屈」と切り捨てるのです。
いい人は考える事を面倒くさがるので、自分で何とかするのではなく、誰かに何とかしてほしいという欲求でいっぱいです。
そして、彼らの批判の矛先は常に他人や企業や行政に向けられます。
労働法違反だ、不当解雇だと会社を訴えたり、政府の対応が遅いと非難したりデモをしたりするのもこうした人たちです。
しかし、そういう依存体質であるがゆえに、社会の弱者としての道を歩かされる事に気づいていません。
弱者は「なんで自分だけがこんな目に遭うんだ」「まじめに生きてきたのに」と怒りをあらわにしますが、何かにしがみつく事に一生懸命で、結局は何も考えていないのです。