挫折の対処

 

諦めたくなった時、挫折しそうになった時はどうするか?

 

自分を奮い立たせて努力する道もあれば、すっぱり諦める道もあります。

 

ここで多くの人が悩む原因になるのが、「諦めてはいけない」「諦めたらそこで試合終了」「継続こそが力なり」という「諦めない事が善、諦めるのは悪」という価値観です。

 

諦めずに粘り続けるのはたしかに尊い事かも知れませんが、誰でもできる事ではありません。

 

だからなのか、諦めずに努力して勝利や成功を掴み取る映画、漫画、ドラマはいつの時代も人気で、人の心を打ちます。

 

自分ができない事を作中の主人公に託し、私達は感動するわけです。

 

それに、諦めるのはたしかに悔しい。

 

諦める事に対する罪悪感だけでなく、自分の無能さ、意志の弱さを認め、自分に負けた事を思い知らされる事になるからです。

 

でも、諦める事はそんなに悪い事なのでしょうか?

 

むしろそれは間違った刷り込みなのかもしれない、と感じる事があります。

 

なぜなら私達は、諦めながら自分の適性に応じた職業や生き方を掴み取っていくからです。

 

例えば子供の頃、プロ野球選手やプロサッカー選手に憧れ練習に励んだとしても、レギュラーになれないとか、試合でも1回戦予選負けしていれば、自分には才能がないと薄々気付きます。

 

そしてその道は諦め、他の道を探します。

 

全国大会に出場するほどの選手になれば、高校では全国強豪校に進学したり、大学でもスポーツ推薦でその道に進んだりする事はあると思います。

 

しかし、他の卓越した才能を持つ同級生見て、卒業するころには自分の限界を悟り、就職活動などをするようになります。

 

そうやってプロになれないほとんどの人は、途中で自分の才能のなさに気づき、あるいはスポーツ以外の職業がある事を知り、他の生き方を目指すようになります。

 

もちろん諦めずに大成した人も沢山います。

 

「何かを得る為には、継続がモノを言う」場面は現実問題としても少なくないからです。

 

一方で、諦めて別の道を選んで大成した人もいます。

 

例えば芸能界を引退し起業して成功するとか、転職して花開いたという話も聞くと思います。

 

これはどちらが優れているとか、どちらが正しいとかではなく、どちらも尊い選択であり、どちらも尊い生き方だと言えます。

 

なぜなら、もし諦めない事が絶対の善だとすれば、それは新たな悲劇を生み出す可能性があるからです。

 

世の中には3万種類を超える職業があると言われており、もっと早く他の道を模索しておけば、また違った生き方ができたかもしれない・・・。

 

そう考えると、諦めた方が幸せになる事もあるわけです。

 

つまり、「諦める」とは、本人が向いていない事、自分の才能を発揮できない事に拘泥して人生を浪費しないため、あるいは「あんたの適性はここではない」と気付かせるため、人間に備わった合理的なメカニズムであるようにも感じます。

 

諦めるかどうかの岐路に立たされた時、判断基準を持っておくとダラダラ迷わずに済む、という事です。

 

例えば私の場合ですが、「やって楽しいか」「自由な生き方に繋がるか」「儲かるか」です。

 

それに合致しなければ、「諦めていい」と判断するようにしています。

 

最初の「やっていて楽しいか」は結構重要で、「その取り組み自体が辛い」「考えるだけで憂鬱になる」事だとしたら、それは苦行でしかありません。

 

次の「自由な生き方に繋がるか」は私の個人的な基準ですが、今は自由が何より最優先だからです。

 

そのため、どんなに大きなチャンスがあっても、自由が損なわれる選択はしないようにしています。

 

最後の「儲かるか」はモチベーションの根源でもありますが、儲かっても楽しくないとか時間に縛られる事はしたくないので、現状の優先順位としては3番目なのです。

 

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