自分で判断

 

世界中の優れた政治家はたいてい黒歴史のオンパレードです。

 

そのくらい常識はずれで肝が据わっているから、大宰相としての名声を得たのだと考える事もできます。

 

そもそも政治能力よりもプライベートなゴシップを重視し辞任に追い込むとしたら、何のための選挙か、何のための公約か分からないと思います。

 

仮にそれが犯罪レベルのスキャンダルならば、警察や司法に任せればよいだけの話です。

 

政治家が道徳的であるかどうかと、私たちの幸せには何ら関係ない、という事がわかれば、そのくらいでいちいち騒ぐのはばかばかしくなります。

 

マスコミもマスコミで、もっと報道する価値の高いニュースは沢山あるはずです。

 

報道の自由とか国民には知る権利があるなどと言いますが、国民の下世話な好奇心までいちいち答える必要が本当にあるのでしょうか?

 

不倫報道に時間をとられて、本来報道されるべきニュースが隠れてしまうとしたら、それこそ罪深いと言えるのではないでしょうか?

 

世間の多くの人が信じる社会の常識や道徳的な「べき論」は、本当にそうなのかと冷静に検討する事です。

 

その「べき」を守る事で、あるいは守らない事で具体的にどんなメリット、デメリットがあるのかを冷静に考えてみると、実は実態や根拠があいまいで、本質からずれている事も少なくありません。

 

そもそも常識とは、その他大勢の考え方や行動様式に過ぎないわけで、常識に従って自分を周囲に合わせて生きるという事は、その他大勢の人生を歩む事を意味します。

 

孤独を恐れて自分の本音や感性を無視したり否定したり押さえつけたり、ホントの自分と違う事をしていれば無理も来ると思います。

 

それに、世間の常識、世間的な道徳心に従って生きていれば、波風が立たなくて暮らせる一方、何の独創性もないという事になります。

 

もちろん完全に社会の常識や良識、倫理観や道徳心を捨てろという事ではありません。

 

また、他人の意見を参考にする事も必要な事です。

 

それでも最後は自分の感性に従って判断する事です。

 

その感性を取り戻す事も内省によって得られる効能の1つなのです。

 

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