語彙と幸福の関係

 

皆さんは、なぜ語彙の豊富さが幸福につながるかわかりますか?

 

語彙が多ければ、自分の感情を自分の内部で的確な表現で言語化する事ができます。

 

そのため、感情を処理しやすくなるからです。

 

例えば不安や葛藤、なんとなく感じる閉塞感といったあいまいな感情の動きでさえ、論理的に言語化できるならば、「今自分が感じている不安はこうである」と特定する事ができます。

 

特定できれば「こうしてみよう」と解決方法に向かう事ができるし、「ではこのようにとらえてはどうか」など意味合いを変えて不安を解消させる事もできる。

 

あるいは「そういう事だよな」と自分で納得する事もできます。

 

それは自分の状態や感情より快適にしていく作業にほかなりません。

 

しかし自分の悩みを言語化できなければ、「悩みの原因はこれである」と特定できません。

 

原因がぼんやりしていればどうしていいかもわからず、悩みは悶々と続く事になります。

 

「自分では一生懸命努力しているつもりなのに、何もかもうまくいかない。どうしても生きる事がつらく、しんどい」と感じている人は、自分の感情を言語化できていない、つまり自分をよく理解し表現できていないからです。

 

私達は言葉で世界を認識し、言葉で自分を認識します。

 

だからこそ、「言葉にできる」能力は非常に重要であり、「言葉に出来ない」人との幸福度には大きな差ができるのです。

 

特に若い世代ほど、正確に言語化する事を面倒くさがる人が多いようです。

 

例えば「やばい」という言葉がありますが、文字通りの「ピンチである」というだけでなく、「面白い」「可愛い」「凄い」「美味しい」「楽しい」という意味でも使われます。

 

更には「くだらない」「どうしようもない」という正反対の意味でも使える便利なフレーズです。

 

しかし、ある意味、他人に対しては「このシチュエーションで意味を汲んでよ」という、外部に理解を丸投げする行為です。

 

自分に対しては、細かな感情を受け止める面倒くささから逃げている事です。

 

いずれにせよ、表現力が高まる事はありません。

 

大人になってからも、「やばい」に限らず「微妙」とか、流行りの短縮表現や便利なフレーズばかり使っていると、不安や悩みを言語化できず、自分の中で納得したり解決策を考えたりできない。

 

若者世代の方が悩みが多いのは、単に人生経験の少なさだけでなく、語彙が少ない事も理由としてあるのかも知れません。

 

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